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2017年翻訳祭(1)まっとうであること

2017.11.30 03:23

11月29日、日本翻訳連盟主催の第27回翻訳祭に終日出席してきました。  最初の参加はたしか4、5年前。ボランティア制度が始まった年でした。午前か午後、どちらかをボランティアとして働けば、好きなセッションを聴講できます。その年はアシスタントとして参加し、聴講者への資料配り、ドアの開け閉め、後援者への飲み物補給チェック、マイクやプロジェクターの調整なんかをした記憶があります。  わたしが担当したのが専門性の高い、こぢんまりとしたセッションだったからか、参加者は部屋の3割ほど、どっさり余った資料を段ボール箱に戻して受付に持っていったり。久しぶりに会社員時代を思い出すような仕事でした。  ビジネスセミナーの延長みたいな存在だった翻訳祭が、がらりとその色合いを変えたのが去年のこと。翻訳者が大勢壇上に立ち、日頃聞きたかったこと、話したかったことがセッションとなって目白押し。同一時間帯に行きたいセッションが重なり、体が3つぐらい欲しいと切実に思いました。実務翻訳の品質管理における第一人者、テリー齊藤氏のセッションは立ち見はおろか、通路という通路を人が埋め尽くし、ひとりでも多くの人が聴けるようにと体育座りをする人が続出、のちにレジェンドと呼ばれるプレゼンテーションとなったのでした。  さて今年の翻訳祭。  午前中は高橋さきのさんと深井裕美子さんのセッションへ。ニッポンの翻訳事始めとして触れないわけにはいかない『解体新書』から、明治、大正、昭和をざっと巡り、紙の辞書を引き、原稿用紙に鉛筆で書き記す翻訳から、ワープロ、パソコンとCD-ROM辞書、電子辞書を使った翻訳へと移行し、AI翻訳の出現にいたる歴史。翻訳者同士の横のつながりも、パソコン通信~mixi~SNSと、パソコン通信時代にこの世界に入った者から見ると、格段にハードルが低く、怖がることなく業界の輪の中に入れるようになったと感じています。  一方で翻訳支援ツールやAI翻訳の出現により、出版・実務・映像の区別なく、翻訳者ひとりひとりが“生き残るにはどうしたらいいか”ということを考えなければいけない時代になりました。ぼやぼやしてると下がる単価、増刷が難しくなった書籍、減っていく劇場公開映画、逆に増えていくネット配信作品(増えた分参入障壁が下がったのかもしれませんが、報酬はどうなのか、そのあたりは謎です)。  つまるところ、当たり前のことを当たり前にやるしかないんです。原文の情報をそっくりそのまま、日本語として正しく伝えること。「これだったら機械翻訳でもいいじゃん」と言われるようなミスをしないこと。読み手に「読んでよかった」、「楽しかった」、「参考になった」、「翻訳された情報のおかげで契約が結べた」と思っていただける翻訳をするしかないんです。  ただ、この当たり前というのがむずかしい。新人さんはプロとして認められるレベルに立つことがむずかしいし、ベテランは自分の力を過信してると頭が堅くなり、新しいことを受け入れられなくなり、気がついたら取り残され、どこからもお声がかからなくなる、という恐怖。  立憲民主党の枝野幸男氏が言う“まっとうな政治”。わたしたち翻訳者も“まっとうな翻訳”をお届けすることに尽きるのかなー、と、高橋・深井両氏のセッションを聞きながら思った次第です。  続きます。