子どもたちにとって必要な学習方法とは??
久しぶり過ぎるブログでございます。
2シーズン目の夏!!到来目前です!!
日々を過ごす事でいっぱいいっぱいの私は・・・あったことを振り返る時間もありません。
でも無いところから導くことも時には大事なこと。
最近のことを振り返りながら、頭を整理中です。
私は現在30年間溜め込んできた(経験してきたこと)ことをアウトプットしながら、新しい世界のインプットを行い、過去と現在と未来を紡いでいる最中でございます。
そんな時は・・・中島みゆきの「糸」を歌いたくなってしまうほど。。。。
紡いで紡いで時にはそこが絡まって、立ち止まって・・・そしてまた紡ぎ出して、ああ、これは一体いつまで続くんだろう・・・・って後に引けなくなって。でもまた始める。
そんな日々を重ねながら、最近色々やっています。
でも確かな光として私の中で輝いているのは、子どもたちとの触れ合い。
もちろん我が子もそうですが、スポーツを通して子どもたちと触れ合ったり、環境プログラムで触れ合ったり・・・そんな時間が楽しくて仕方がありません。
そんな中、感じる子どもたちのこと。
「自分を表現する」
ということに対し、私は焦点をあてています。
それは、体を通してもそうですし、言葉を通してもそうですが、
子どもたちを見ていてその表現方法の個人差を感じています。
「今日体験したプログラム・・・どうだった??」
と、質問した時に
「楽しかったーー!!」
と返ってきますが、そこでだいたい会話が終わってしまうのです。
ほとんどの子供がそうなのです。
でも、幼児に質問すると??
「あれとね、これとね、あれが楽しくてね・・・むにゃむにゃむにゃ・・・」
といつまでも話してくれる勢いです。
この「個」の動きを活発にしてあげられる方法はないのかな・・・??
なんて最近思っています。
学校の授業はインプット時間が多いですので、子供達は
「聞くこと」にはなれているので、こちらが話している時はしっかり聞きます。
(の・・・ように見えるだけなのか??)
でもこちらから質問をしたり、感想を教えて・・・と聞き出し、話をしてもらうと???
すぐに終わってしまいます。
一般的な公立学校の傾向でしょうか?そこは私も比較対象があまりにも小さいのでなんとも言えませんが、様々な小学生を見る機会が増えた最近、そんな風に思っています。
一方で、私がバスケットのコーチを行うシュタイナー学校の生徒達です。
彼らの表現力に最近驚いたことがありました。
バスケットの練習回について、感じたことと、今後の課題について聞かせてくださいと、質問をしました。
メンバー全員に聞きましたが、(中学校1年生から高校3年生まで)
「え?言うの?言わなくちゃいけないの?」と言う抵抗感があまり感じられず、自分の言葉で、さらにある程度整理された言葉で表現していたことにびっくりしました。
シュタイナー教育の教育方法と、公立で行われている教育方法の比較されている雑誌などは色々あり、私も読んだことがありますし、ある程度の認識はありましたが、それは紙面上の話で、
リアルにどう違うかと言うのはやはり教育現場にいなければわからないことだと思います。
単に私個人が感じたことですが、「自分自身を表現する」と言う点について、
公教育の基本的なベースは「みんな同じように」と言うところがあり、はみ出す生徒をできるだけなくすことが教師の求められているところでもあります。
ではシュタイナー教育では??となると、「個」を尊重する教育なので、みんな違っていいじゃないと、子供たちは教育されているので、他の生徒が意見していることに対し、自分の考えと比較しつつも、自分はこう思うと言う考えを持つことができているように感じます。
そのような場面を前にすると、やはり現在の教育方法については多くの疑問を持ってしまいます。
そこで、インプットをしたらアウトプットをする。さらにそこに人と人とが繋がるコミュニケーションも含めて行う。
そんな場面を多く作ってあげたいなと思いつつ、小さな試みですが色んなプログラムを構築している最中です。具体的には???
と・・・・言うのはここではまだご紹介できませんが・・・
自然と人を繋げられる環境プログラムを通して、そんなことができたらいいなあと考え始めています。
ちなみに・・・・この写真は、洞爺湖をテーマにした環境プログラムを行った時の一コマ。
私自身も知りませんでしたが、湖と生き物と、そこにすむ人と、歴史を重ねていくと面白い!さらにそこにゲームとか入れたら子供も喜んでくれました!!
まだまだ経験値は足りませんが、色々生み出して行きたいなと思う最近です。
何が書きたいのかわからなくなりましたが・・・今日は私の独り言のようなブログ。