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「詩人の曳く影」という表現

2018.07.06 11:22

 一九九八年に『評伝鷲巣繁男』を小沢書店から刊行したとき、多田智満子先生が「三田文學」に書評を書いてくださった。そのタイトルが「詩人の曳く影の深さ」というものだった(『十五歳の桃源郷』人文書院所収)。

 このタイトルが、もしかするとダンテ『神曲』煉獄篇第二二歌の一節と関係があるのかもしれないと思ったのは、十年が経過し、多田先生もすでに泉下の人となって久しい今日の午後のことだ。

 ダンテはいう、「先に立って進む二詩人のあとに、ひとり孤影を曳く私は、二詩人の語らいに耳傾けたが、詩作に関し、啓発されるところ頗る多かった。」と。(集英社文庫版二八六頁)

 註を参照すると、訳者である壽岳文章は、まず「影は生者のしるし。」とし、またこの件りを「詩篇一一九の一三〇、「みことばの戸が開くと光さしこみ、おろかな者をもさとからしめる」を踏まえた表現。」とする。

 考えすぎかもしれない。けれども、多田先生は、このタイトルで、ダンテにもウエルギリウスにも通暁していたダニール鷲巣繁男への敬意も込めて、この詩人がまだわたしどもの心のうちに影を曳いて「生きている」ことを暗示しようとしたのではなかろうか。


*初出:「神谷光信のブログ」(2011年2月23日)