木辺成麿氏(1)
木辺成麿氏(きべしげまろ、本名木辺宣慈、1912-1990)は、言わずと知れた反射鏡研磨の名人です。木辺氏と言えば、木辺鏡であり、赤い表紙の「反射望遠鏡の作り方」(誠文堂新光社)の著者としても有名です。また、木辺氏は真宗木辺派21代門主であり、光学技術者(レンズ和尚)としても名を残しています。(ウィキペディアより)
木辺氏が中村要氏と出会ったのは、木辺氏が14歳の時でした。木辺氏の義兄(藤谷為隆氏)が山本一清氏の個人助手だったことから、つながりは始まりました。木辺氏は、10歳前後で天文に興味をもち、レンズを組み合わせて作った望遠鏡や、中古のプリズム双眼鏡で実際に星を見るようになりました。そして14歳頃からは、山崎正光氏や中村要氏の教本を見て、鏡面研磨も始めました。木辺氏が15歳になったばかりの頃、木辺氏は一人で花山天文台を訪れ、持参した荒ずり半ばの9cmの鏡材を中村要氏に見せたそうです。中村要氏は、それを取り上げるようにして研磨を始め、2時間ほどで磨きを終わらせました。その後、フーコーテストを2~3度して、5時間でミラーを完成させてしまいました。
その後、木辺氏は18cm鏡を研磨し、1928年(昭和3)に再度中村氏の元を訪れ指導を仰いでいます。
(1枚目:1930年代の木辺氏の観測姿。2枚目:木辺観測所と僧衣姿の木辺氏。機材は口径26cm(木辺鏡)反射赤道儀と10cm反射経緯台。SSCygタイプの変光星を盛んに観測していました。3.4枚目:花山天文台クック30cm屈折望遠鏡で観測中の木辺氏、木辺氏は1932年から1937年頃まで無給でしたが、花山天文台員でもありました。写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)
参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987