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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱46-ドイツ青島占領

2023.06.22 11:13

ビスマルクを廃したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、新路線をとって海外植民地政策を行おうとした、ビスマルクは英仏など列強に攻められるのを恐れていたのだが。1884年ナミビア、トーゴ、カメルーン、翌年にはタンザニアを保護領化した。そして時流にのって中国にも進出しようとする。

ドイツは膠州湾を理想の艦隊基地として目をつけていた。すると1897年11月1日、山東省でカトリック教会が襲撃され、ドイツ人宣教師2人が殺害されるという事件が起きる。同月7日には膠州湾上陸占領作戦を開始し、そこに居た清国兵1000人を退去させ、無血占領した、もはや清国には戦う力は残っていない。

翌98年3月6日には独清条約が結ばれ、膠州湾を含む山東半島一帯はドイツの保護領となった。そして鉄道敷設や鉱山開発権も渡したので、山東半島全体がドイツの勢力圏に入った。他の列強もこれを真似て、租借権を拡大し、中国はますます虫食い状態となっていくのである。

ドイツは青島を模範的な植民地とすべく、下水道やドイツ風建築を行った。そしてドイツ占領下でできたのが青島ビールである。第一次世界大戦時に英仏側で参戦した日本はここを襲撃して、その後日本の植民地となるが、総督府はじめとしてドイツ建築は現在も残っている。