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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第6回十字軍11-破門皇帝の十字軍?出発

2018.07.10 10:00

1227年3月18日、教皇ホノリウス3世が崩御し、グレゴリウス9世が教皇となった、あのフランチェスコの面倒を見ていたウゴリーノである。フリードリヒ2世は、8月15日約束通り十字軍を出航させようとした。しかし運悪く疫病が発生し、船乗り達にも広がって出航どころではなくなった。皇帝はやむをえず、元気な者だけを先に行かせ、出航は断念しナポリに戻った。

ところが、これまでいろんな理由をつくってさんざん遅らせた事情がある。新教皇はインノケンティウス3世の甥であり、皇帝を目下に見ている。あっさり皇帝を破門して、これまで育てた恩を忘れたかと手紙を送った。売り言葉に買い言葉で、皇帝のほうは、自分はシチリアにほったらかされただけだ、と返事。その結果が1228年3月の2度目の破門だった。

6月28日、皇帝は破門されたまま軍を出発させた。彼にとっては、邪魔な教皇の言うことをきかずに済むし、自分の軍だけで事を成すことができるので、かえっていいと思ったかもしれない。軍は4千人と再建したシチリア海軍を率いていった。なんとイスラム兵も連れていったということだ。

皇帝はアッコに堂々上陸し、現地の聖地騎士団も、エルサレムを解放するという条件で、皇帝に従うことを決めた。しかしこれだけの軍事力を動かすことをせず、皇帝はアル・カーミルとの外交に入るのである。実はアル・カーミルにしてみても、もうエジプト以外は権威が届かない。とにかく陣屋に顔なじみのファラディンを送り、チェスでもしながら、アッコーカイローダマスカスの三角外交が始まることとなった。

下は優雅なチェス外交