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RIVALS EYE【第四節:D地区】

2023.06.27 03:00

RIVALS EYEとは

ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う

30リーグ参加団体による公式戦の観戦レポートです

今回は第四節『[フキョウワ]×演劇ユニット衝空観』を

D地区がレポート

はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?

【D地区レポート】


D地区の髙谷です。2023年6月20日に開催された、火曜日のゲキジョウ 30×30リーグ pair.185『[フキョウワ]×演劇ユニット衝空観』を見て思ったことをいくつか書きます。


一つ目は、[フキョウワ]「death/next」についてです。

本作は主人公の隣人が「ぼろい手すりの向こうに転落」したことにまつわる2人芝居です。

舞台装置には中央にベットとマットレスがある狭く清潔とは言えない4畳ほどのスペースがあります。暗い部屋のなかで、PCに打ち込まれながらテキストが読み上げられることで、そのテクストの出来事が作者=演者の体験であることが示唆されています。その出来事とは、夜半過ぎに罵声をあげる配信者らしいアパートの隣人が突然「ぼろい手すりの向こうに転落」した事故です。その後、主人公が「生と死」の距離が曖昧になっていく様子が、友人の職場の同僚の死や主人公の自慰行為、そして主人公の妹の結婚式など、対話、独白、電話などの文体によって物語られていきます。照明やアクティングするエリアが適切に分けられていたため、30分という短い上演時間にしては多い場面転換も違和感がありませんでした。

また、「自分語り」的な文体の常として、不必要に生々しくなりがちだと思います。そういったショッキングなシーン、例えば自慰行為のシーンも、ポップな演出(確かきゃりーぱみゅぱみゅが流れていた)などによって中和され、主人公=作家と観客の間に心理的な距離が確保されていたように思いました。

その上で、特筆すべきなのは上演後の「演出」です。最後の場面で、結婚式狩りの主人公が友人から、普段吸わないタバコをもらいます。彼はアパートの事故現場の前にいくと、火をつけたタバコを立てて置いた後、主人公が観客に礼をします。そして、俳優が舞台装置が搬出し始めるので、私は上演が終わったのだと思いました。しかし、主人公役だった俳優は何回も倒れそうになるそのたばこを何度も立て直すので、「あ、終わってない」と気付かされました。

それは明らかに弔いの行為なのですが、僕には単に死んでしまった隣人を弔っているのではなく、むしろその作者=主人公=俳優をも弔っているように見えました。突然現れた死への不安、それは生活のいたるところのすぐ向こうにあり切断できない、そういった不安を断ち切るための弔いに見えました。


2つ目は、演劇ユニット衝空観「トイレット・カルテット」についてです。

こちらは、忘れられたように誰も来ない地下のトイレの個室にいる4人のコメディーです。

上司のパワハラに悩む金沢、なぜかここにいついているコトノハ、ニューハーフバーの出勤前にメイクをする心愛、掃除のバイト中(らしいがそうではなさそうなことが最後に明かされる)リョウタ(すいません、名前忘れました)の4人が、個室から出られないと思い込んで出られなかったり、ちょっと出ては戻ったりしながら、最後には一人ずつそこを去っていきます。ほぼワンシーンのシチュエーションもの、しかもほぼ立ち位置は固定にも関わらず、かけあいもアクションもギャグも盛りだくさんだったため、30分のショーとして完成されていたと思います。そもそも女子トイレに2人(性別上の)男性がいて、その4人でワイワイ話したり時に熱唱している時点で、すでにおかしいのですが。

このシチュエーションが印象深かったのは、それが私にはSNSのように見えたからです。まず、最後まで4人は、お互いの顔も姿も見ることはありません(「いや、みえねーから!」というボケも何回かありました)。また、お互いがお互いが名乗る名前でしか、お互いを認知できません。「コトノハ」は「ハンドルネームだ」と明言していましたし、「心愛」は「認知してもらうためにこの名前が必要」とまでいっていた(と思います)。自己紹介しあっているときに、「金沢」が「私だけ本名で損した!」と突っ込んだりするのも、twitterやinstagramなど匿名・顕名が混じっているSNSの世界のように思いました。そして、物語の中盤では、「コトノハ」、「金沢」、「心愛」の3人がなぜここから出られないかの心情を吐露する場面があるのですが、これもtwitterの長文スレッドのように私には見えました。

だから、ある意味でこれはSNSの上演で、観客である私たちは有名人5人(最後に登場する清掃員を含める)をフォローしてその投稿やリプライを眺めているような体験に感じられました。だからこそ、キャラクターもギャグも記号的で、だからこその軽やかさ、を観客が楽しめるのだと思います。

「心愛」というキャラは、台詞を発するたびに爆笑をかっさらっていました。歌ったり踊ったりキレ良く突っ込んだり、歌舞伎の見栄を決めて、観客を沸かせていました。そんな彼女は、メイク道具を忘れてメイクが仕上がらず、完璧な状態じゃないと外に出たくないといってトイレからなかなか出ません。そんな「心愛」がボソリとつぶやく、「みんな見てくれなくていい時は見るくせに、見てほしいときは見てくれない」というセリフを、僕はこっそりリツイートしたくなりました。


以上が僕が観劇して思ったことです。上演団体の[フキョウワ]さん、演劇ユニット衝空観「トイレット・カルテット」さん、お疲れ様でした。


髙谷 誉(D地区)