ベルエポック66-クリューガー電報事件
2023.06.27 11:48
実はヴィルヘルム2世のドイツは当初親英路線だった。1890年にはヘルゴランド=ザンジバル条約を結び、ドイツはナミビアを獲得した。それに亀裂が入ったのは1896年の「クリューガー電報事件」である。ここに出てくるクリューガーとは南アフリカのボーア人の共和国トランスヴァール共和国の大統領。
86年に同共和国は金鉱が発見され、ゴールドラッシュとなった。白人の流入に危機感を感じたクリューガー大統領は、選挙権を14年以上在住する白人に限った。これが気に入らない当時植民地相となったセシル・ローズらはここに介入を企てる。対してクリューガーはドイツに接近した。
そして遂に95年、セシル・ローズの友人のジェームスンが600人ほどの民兵を引き連れて共和国に侵入する。しかしさすがにこの兵力ではどうにもならずこの試みは失敗し、この事件の責任でセシル・ローズはケープ植民地の首相を辞任した。
しかしこの事件のあと、ドイツ皇帝はクリューガー大統領に、独立を守ったことの祝電を送ったのである。関西弁で「いらんことしい」という言葉があるが、やったところで何の得もなく、むしろイギリスの世論を敵にまわしてしまった。そしてドイツはイギリスに対抗して海軍を強化し「建艦競争」を仕掛ける。これをきっかけにイギリスはドイツと離れていくのである。