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inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

あかねいろ(3)最初のノーサイド

2023.06.27 12:14


 どこにいたのか、国立競技場に急に赤色の旗を持った人たちが湧いてくる。

テレビ画面も彼らを大きく映し出す。彼らは80分間ひっそりとスタンドの青い波の中に隠れていたに違いない。そうして、今、15番の劇的なトライによってようやく胸を張って起き上がる。我らのチームを誇りに大きく旗を振る。 

 15番は、トライをした後も淡々とチームの輪に戻る。派手なガッツポーズも、感極まった様子もない。何よりも、自分が一番、この状態を信じられないという顔に見える。スタンドは父の母校を連呼する声で溢れる。 

  僕は気づくとコタツから出て、テレビの前1mくらいのところに迫っていた。いったいこれはなんなんだろう。あれだけ80分間、攻撃がうまくいっていなかったように見えたチームが、たった2分で14点差を追いつこうとしている。何か、騙されているような、作り話を見ているかのような気持ちになる。そして、テレビの画面の前で、たまらなく緊張する。  

 どよめくグランドの上、ゴールポストに対して右45度ぐらいの角度。22mライン上に赤の10番が何食わぬ顔でプレースキックの準備をしている。ボールを手に持ち、楕円形を縦にして、ゴールポストと自分の立ち位置を確かめている。その様子は、優秀な料理人が、包丁の研ぎ具合をみ、まな板を出して、そしていつも通りに獲物をセットしているような雰囲気で、どこにもよどみがない。普段通り、いつものことのように彼は準備をしている。 

  しかし、見ている僕はそうではない。膝をつき、頭を前にして、心臓の鼓動の速まりを抑えられないでいる。このキックが決まれば同点。外れれば敗戦が決まる。僕以上に、スタンドもアナウンサーも落ち着かないようで、グランドは、キックを蹴る瞬間になってもどよめきが止まない。

   そんな中、10番は、用意されたカップの土で小さな山を作り、その上にボールを少し自分の方に傾けてプレースする。西日が正面から彼の顔を照らし、彼は少し眉をひそめる。そして、ほんの1秒。ゴールを見上げて、どよめきを気ににすることもなく、ボールを蹴り込む。 

  ボールは仰角約30度弱。低い弾道を突き進み、ゴールポストの間を通る。ポストの下のラインズマンが確信を持って同時に旗を揚げる。 

  同点。

   歓声なのか、ため息なのか、その2つが合わさったうねりが、甲高い声を幾重にも重ねながら、ともにテレビから流れてくる。アナウンサーは「奇跡の同点」と連呼する。

   ノーサイド。


    僕は中学2年生の野球少年で、本気でプロ野球の選手になりたいと、つい最近までは思っていた。けれど、中2の新人戦を終えて、地区大会までは進出したけれど、それほどの目覚ましい活躍もできず、県代表のセレクションには呼ばれたけど、そこでは逆に他の人との力の差を痛感した。野球部の12月はつまらない走り込みが中心で、日々の辛さに耐えながら、来たる春に備えるというところだった。

   そんな中で見たこの試合は、薄っぺらい言葉だけど、久しぶりに感動を与えてくれた。諦めちゃいけないんだ、と。そして、いつかラグビーをやってみたいなという気持ちも、この時に萌芽したと思う。

   学校生活においては僕はいわゆる優等生だった。成績は概ねオール5に近く、生徒会の役員をし、野球部の部長も務めていた。野球についても、僕は自分に不満で不安だったけど、周りから見れば4番でキャッチャーで、県代表候補ということで、皆から一目置かれていた。

   でも、僕は中学校生活のどの段階かで気付いていた。この姿は、本当の僕の姿ではないと。僕は無理をしている。やりたくもないことをやっている。優等生を演じている。本当の僕は、もっともっと違う姿の人間だ。でも、今更この学校で、この部活で、今の僕を変えることはできない。そんな勇気もない。それが思春期というものかもしれないけれど、僕はそんな自分が本当に嫌だった。唾棄したくなるくらい嫌だった。 


  この時期の僕の愛読書は村上春樹の「ノルウエイの森」だった。そこに出てくる「僕」に僕は憧れていた。なぜか彼の生活が、とても僕の理想に近いように思えていた。そのこと1つを取っても若干病みぎみだったんだなと思う。