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inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

あかねいろ(4)周りはみんな猛者ばかり

2023.06.28 12:02

 

  中学3年生の最後の大会は、学校から期待された割には、実にあっさりと負けてしまい、長い夏休みと、何の感興もない受験シーズンがやってきた。

   受験については、高校でも野球をやるつもりでいたので、野球の強豪校で、それなりの偏差値のある学校をピックアップし受験をすることにしていた。野球推薦もある学校だけど、甲子園の常連校でもあるその学校に、推薦でお呼びがかかるようなレベルではないので、一般で受験をした。

   高校受験ほど憂鬱な受験はないと思う。好き好んで受験するわけではないし、それでいて人生で初の選択ということで、先の見えない緊張感が続く。学力的にそんなことはないとわかっていても、どこかで「全部落ちたらどうしよう」という気持ちが拭えない。受験期には僕はだいぶ抜け毛に悩まされた。塾にもいっていなかったので、受験についてあれこれと相談したり、話したりすることもあまりなかった。

   何とか受験が終わった後に、僕は合格したその学校の練習に2度参加した。受験の前の相談会の時にも、合格したら練習に来るように言われていたし、受験の時の面接でもそのような話が出て、受験が終わった後には学校から電話もかかってきた。

   本当は僕は、その私立の強豪校と、公立の学校との進学には少し迷っていた。心の中のどこかで、本当に野球で甲子園に行くような力があるのか、自分を疑っていた。疑っていたというか、自信がなかった。そして、私立の学校の学費の高さも引っかかっていた。親からはいつも「お金がない」と言われていた。でも僕が、野球で頑張りたいという限り行かせてくれるのはわかっていた。だからこそ気にかかっていた。 

     

  2月の後半。まだ十分に寒い冬の終わりに、東京の、都心の中では西のはじの方にあるグランドに行き、練習に参加した。狭苦しいグランドで、周りは高いコンクリートの建物に囲まれている。僕らの街の、田舎の森に囲まれた広々としたグランドとは大違いだった。その中に新2、3年生が60名程度、さらに新しい1年生候補が20名程度、初回の練習に来ていた。

   僕はまずもって、その集合時点で圧倒されていた。身長171cmで、大きくはないけれども、そんなに小さい方でもないと思っていたけれど、明らかにその20名の中では小柄だった。僕より小さいのは一人しかいなかった。みんななんだか木偶みたいに大きかった。そして、自己紹介が始まると、僕はいたたまれない気持ちになってきた。初めの子は愛知出身で、中学生の日本代表にも選ばれたことのある投手で、兄も同じ学校の野球部にいるらしい。次の子は僕と同じ県出身で、シニアの世界大会に出たことのあるチームのキャッチャーだった。

   つまり、野球で全国クラスの子がどっさりと来ていた。唯一僕より明らかに背の小さい子も、なんと100mのとある県のチャンピオンということだった。軟式の県代表補欠と言うような、雑多なレベルの子は僕のほか数名しかいなかった。

   さらに、キャッチボールが始まると僕の劣等感は格段と進んだ。そもそも、硬球をちゃんと投げるのは僕は数回めで、言えばグローブもまだ軟式用のものだった。ペアを組んだ同じ県のシニア世界大会の子のボールを受けると、正直言って手が痛くてたまらなかった。見た所、硬球で練習をほとんどしたことのない子は、これまた僕を含めて数名、という感じだった。投げるボールの速さ、何よりもスピンについては、受ければその人が、実力的には全く別物であることをすぐに感じられる。

   ただ、練習そのものは、軽い内容で、キャッチボールをして、トスバッティングをして、走塁練習が少しだけで、そのあとはコーチや部長からの話が続いた。その話自体は、なぜかとても僕のことを慮ってくれているかのような内容で、ここには野球推薦、推薦入試、一般入試の子がいるが、入ってからは横一線で過去の実績なども何も考慮しない、今の2、3年生も一般入試からレギュラーになった子が半分以上いる、というような内容だった。入ればまずはみんな下積みだ、みたいなことも言われた。それ自体は僕には少しほっとする話だった。