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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロマン派以後9-世紀末のクリムト

2023.06.29 11:28

1897年、新しい芸術団体「ウィーン分離派」が結成された。オーストリアは近代化が進んでいたが、そのトップには貴族が居座り、若手は苛立った。そして分離派の会長がグスタフ・クリムトである。彼はウィーン大学の天井画を依頼されて制作したが、その絵は骸骨やヌードがあり、批判にさらされた。

そして新しい芸術家達はアカデミックな芸術と「分離」を宣言したのである。クリムトは分離派となってから、日本の琳派の影響を自由に表現し、華麗で装飾的で官能的な絵画を描いた。もともと今日を楽しむのが好きなウィーン子は共感を持ち、パトロンに恵まれてまさに黄金時代となっていく。

彼が描くのは古典的な永遠の姿ではなく、現実の生の姿である。ニーチェは「神は死んだ」と宣言したが、永遠がなくなれば現実の生の悦び、官能が永遠になる。近代の入り口でもドン・ジョヴァンニが、保守的な宗教に反抗して、官能を永遠のものだと宣言した。

そして永遠がなくなれば、生は死と直結し、その死の恐怖や魅惑が新しく解釈されて追求される。マーラーは永遠と現世の悦びを行ったり来たりして作曲した。啓蒙主義は神に代わって理性を永遠化したが、それは貧富の差を拡大するだけだった。近代の終焉が始まろうとしている。