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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第6回十字軍14-異端審問制度の開始

2018.07.12 12:08

摂政となったブランシュは、アルビジョワ戦争終結に動き出した。だって彼女はアリエノールの南仏の血が入り、トゥールーズのレーモン家とは親戚なのだから。そこで王弟ポワティエ伯とレーモン7世の一人娘ジャンヌが婚約。王家はこれで南仏まで手を伸ばすことができた。

思えばアリエノールが仏王ルイ7世と離婚したのがややこしくなった原因、ずいぶん遠回りをしたものである。そして1229年11月、ヴァチカンは堂々とトゥールーズに入城して公会議を開いた。そこで決まったのがあの悪名高き「異端審問制度」である。住民は異端を告発する義務を負った。

とはいえ当時は、きちんと弁論の機会を与え、証拠を重視し、その後の裁判制度の基となった。火刑になるのは首謀者だけだった。そして32年この審問官となったのがドミニコ会他説教修道会で、「主の犬」とあだ名をつけられる。そして同時期にカタリ派はモンセギュールに城塞をつくってそこに潜む。まだまだ消火には遠かったのである。

少年王ルイ9世にはあちこちから叛旗があがったが、摂政ブランシュはあるときは戦の先頭に立ち、あるときは「女の武器」を使い、我が子のために、フランスを守ったという。実に母は強し。

下はフランシスコ会の異端審問