誰が動かしているのか?
手を曲げてみます。
その曲げる筋肉を使おうとしたのは誰ですか?
よ~く考えなくても自分が曲げようと思ったから曲がった訳ですよね。
勝手に動いてしまったら病気です。
そして癖のある動きを作ったのは誰ですか?
やはり自分です。
例えば仕事で一定の動きを強いられる場合もありますよね。
仕事のせいだと思いますか?
よく考えたら、その仕事を選んだのは誰?
そう自分自身です。
つまり自分が決めた訳です。
親から命令されて仕方なくやった仕事だったかも知れません。
しかし、その仕事についた以上一定の癖がつくのは覚悟の上ですよね。
自分が命令して曲げる筋肉ばかりを使いなさい。
と思った訳です。
だから誰のせいでもなく自分自身に問題がある訳です。
それなら伸ばす筋肉も同時に使ったら良い訳です。
それでバランスがとれます。
そういう工夫をするのも自分自身ですよね。
伸ばす筋肉が弱っているかどうかをどうやって知るのか?
伸ばしてみればわかりますよね。
身体を全ての方向に注意深く動かしてみればわかります。
縮んでばかりいたから調子が悪くなった訳です。
それなら伸ばせば良い。
とても単純なことなのです。
ここで考えて欲しいのは、なぜそんなに頑張って曲げてばかりいなければならなかったのか?
ということです。
そして頑張らなければ動かないのか?
という疑問を投げかけてみてください。
きっとそう頑張らなくても動くはずです。
もし、自分がその仕事を選んだことを忘れ、誰かに強いられたからやっていると思ったら嫌々やることになりますよね。
嫌々やっているのは誰ですか?
やはり自分自身です。
本当に嫌々やらなければできないのか?
と問いかけるとそうでもなかったりします。
何を言いたいかというと問題は筋肉や動きにあるのではなく、自分が何故頑張ったのか?
何故頑張らなければならなかったのかだということです。
そこを解決しないと問題は解決しない。
誰が命令して問題を作り、誰が命令して解決するのか?
解決しなければ誰が一番損をするのか?
やはり誰のせいでもなく自分自身だということになります。
そこに早く気づいて修正をした方が楽になるということです。
どんな仕事でも楽な仕事はありません。
仕事による癖というのは必ずついてまわります。
それをうまくかわせるかどうかは発想を転換して楽しめるかどうかにかかってくるのだと思います。
これって一生のテーマかも知れません。
私自身はそうありたいと思っています。