出師表 ~または『忠』に対する一考察~
『出師表』(すいしのひょう)といえば、一般的には西暦227年に、蜀の丞相であった諸葛亮が、魏への遠征に際し劉備の息子である劉禅に奏上したものを指す。
40代半ばであった諸葛亮はその忠誠を劉禅に捧げるため、そして何より劉備の恩に報いるため、また自身の誓いを天に対する忠義として示すために、出師表をしたためた。
歴史上に名文と言われる文章は何千何万とあるが、出師表はその中でも五指に入るほどの卓越したものだと私は感じている。
『出師表を読みて涙を堕さざれば不忠の人』とも言われたりする。
時は移り、今は平成の日本。
確かに我々は諸葛亮が抱いたほどの忠を世に見ることはなくなった。
むしろ、忠が時代の仇となるのも見知っている。
今の世においては忠は無用となったのだろうか。
私事となるが、確かに諸葛亮が抱いたほどの忠を、私はもっていなかった。
もちろん、私が教えを受けた方々、特に剣道の先生に立派な方がいなかったわけではない。
固有名を出させていただくと、和泉先生や加藤先生の精神や行動がいかに素晴らしかったかは、社会にでて20年近くなり多数の人間と関わるにつれ、より一層その思いを強くしている。
それでも私は剣によって世に立ち、それでもって人類に貢献するという道に進むことを選ばなかったのである。
それはひとえに、私の剣に対する『忠』が、真心を尽くし一生を捧げるほどには足りなかったからであろう。
人はいかに忠義に厚くなるかと考えると、やはりそれは教育によるところが大きいと感じている。
ただし、私の定める教育という言葉と一般に使われる教育は違うかもしれないので、若干の説明を挟む。
『馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』という故事が示すように、教育とは「教えて育てる」ということではない。
以前にも書いたが、言葉の妥当性は結果における主体からしか判断できない。
つまり、教育の結果は教育を享受した側が主体となるため、教育とは「教わり育つ」が意味として妥当である。
昨今、教育は洗脳であるなどと戯れ言を敷く輩も見かけるが、まったくもって見当ちがいであると述べておく。
さて、自ら教わり学んだことで人はどうなるだろうか。
これには論語の有名な一節が答えを示してくれる。
『三十にして立つ』
念のため、前後も書き表す。
子曰「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩をこえず。」
15歳で教育(教わり育つ)を志した若者が、15年の研磨の末、30歳にしてその道で立つ、ということが叶うのである。
それはようやく立ち上がったばかりの、まだ偉大な一歩となる前の、一人の人間の自立である。
教育の結果、人ははじめて世に立ち己として自立するのである。
だが、30ではまだまだ迷う。迷いながら考え、さらに迷い、それでも進む。
そうして、40になり迷いもやがてなくなり、それが忠となるのである。
つまり忠とは、自立した人間が、己自身を忠義の対象である君や天と同じく大切に感じ、その道のために全力で従うことである。
だから忠とは、誰かに盲目的に従うことではまったくない。
孔子は『礼記』で主君に対する忠として以下のようにも述べている。
「三度諫めて聞かざれば、すなわちこれをさる」と。
この言葉が示すのは、立場の上では主と従があるかもしれぬが、自立した人間の忠に上も下もない、ということである。
何に従い、何に尽くすか、それを示すのが忠ある人間の真心である。