【読者を釘付けにし観客が湧き上がるシナリオの秘訣】「THE LAST SONG」の面白さを紐解く【読む会】
◆はじめに
こんにちは、せしぼんです。今回は5月に開催された「リューネシアサーガ 美学怪盗からの挑戦状」にて一位に輝いた「THE LAST SONG」(作:にょすけ)を例に挙げ、その「面白さ」のエッセンスに迫っていきます。
「リューネシアサーガ 美学怪盗からの挑戦状」には6名のライターによる作品が集まり、ノベルニアという世界のとある逸話が各ライターによってどのように描かれるのか?が楽しめる非常に盛り上がるイベントとなりました。
―――そして僕らはにょすけさんに挑み、敗けた。
敗けて、ただ楽しかったと言って終わってしまったら、なんの成長もない。
相手の素晴らしい部分を見て学ぶところまでがセットで「勝負」だ。
学びを通してみんなと互いに切磋琢磨していけたら、それはとっても素敵なこと。そんな願いを籠めて、本記事を寄稿したいと思います。
◆読者を釘付けにし観客が湧き上がる「面白いシナリオ」とはなにか?
あなたは作品を書いて読んでもらったら、読者にどんな感情を抱いてほしいだろうか?「超面白い」「感動した」「最高」「大好き」「時間も忘れて読み切ってしまった」「夢中!」そんな言葉が貰えたら最高だと僕は思う。
そんなシナリオにするためには、【読者の興味を惹きつけ感性を刺激し、「面白い」と思わせ続ける】事が必要だ。(※【重要事項①】)
より大きく、沢山の「面白い」を作品に散りばめることができたなら、それだけ読者は夢中で読み進めてくれるし、飽きて途中で集中力が切れてしまうなんてことはなくなる。
脚本術や色々なテクニックはそのためにある。
それは読み手が作品のタイトルや表紙を目にした瞬間から始まり、あらすじを見たときにも、シナリオの最初の一行を見たときにも、ずっと絶え間なく続いている。
「なんかつまんないな」と思われたら読まれることはないし、逆に「面白い」が続いていれば最後まで読んでもらえる。
それが及第点に達しているかいないか、満点にどれだけ近いかというところを意識して今後の創作に臨みたい、と自身に思う。
◆今回取り扱うシナリオ
◆本編の面白さ
1.無駄を削ぎ落としたキャラ紹介
御存知の通り、キャラ紹介はどれも一行だ。
オプラティムが自分の演技に納得がいっていなくて悩んでいることとか、どんな信念を持った人物なのか、ビゴーとオプラティムはどんな関係性なのか。好物がなんだとか、美学怪盗がどんな性格なのかとか。そんな事はキャラ紹介で書かずともシナリオを読み進めるなかで明らかになるように設計されている。
「美学怪盗」はその名前だけでじゅうぶんに魅力的だ。加えて謎の素性、謎の能力。彼女について語ることは寧ろ魅力を損なうとまで言ってもいいのかもしれない。
(「シーユー:女性 美学怪盗 シーユー・アンドルフィン」だって。こんなに情報がないのに魅力的な紹介文ってある?書いてみたいよね。)
各キャラの情報はシナリオのなかで、僕らが知りたいと思うタイミングで違和感なく説明されている。
もしシナリオを読む前に広辞苑のように分厚い設定資料を読んでもらうのだとしたら、シナリオなんて無いのと同じだ。
僕らは情報を読んでほしいのではなく、「物語」を読んでもらい、読者を感動させたいんだ。それをどううまくやるか。それをこの後に続けて書いていく。
2.シナリオの一行目、一言め、1シーン目
ト書きからはじまり、一行目オプラティムのセリフと、二行目のビゴーのセリフはこうだ。
―――
場面転換◆大劇団ノベルニアテアトル 控室
オプラティム:「この身砕けちろうとも、我が心に嘘偽りはない!」
ビゴー :ぜーんぜんだめ。
―――
ビゴーの「せーんぜんだめ。」が、オプラティムの演技がどういったものであるかを説明してくれている。
キャラ紹介を見れば、オプラティムの演技が「ぜーんぜんだめ」な理由の1つにこの「細かい事が気になる」という性格が関係しているのではないかと推察できる。
そして、オプラティムが演じたゴルドーのセリフは物語の終盤でも登場する。セリフは以下のとおり。
―――
場面転換◆大劇団ノベルニアテアトル 第三幕
オプラティム:「……堕落騎士ドル・ゴルドー、私は君の事を絶対に忘れない」
ビゴー:「これが最後の剣戟だ、皆の者。」
ビゴー:「私は!この孤軍の唯一の騎士団長!!!!ドル・ゴルドー!!!」
ビゴー:「この身砕けちろうとも、我が心に嘘偽りはない!」
―――
同じセリフを口にするのはオプラティムからビゴーへと変わり、この物語を経てふたりの表現が、その基となる歴史の解釈がらっと変わったことがうかがえる。
「最終回は第一話の再現である」とは僕の好きな言葉のひとつ。
冒頭と似たシーンでも、物語の最後にはその意味も見方も状況も、湧き上がる感情もなにもかもが様変わりしている。そうしてわかりやすく、この物語がなんであったかを感じることができるんだ。
また、これが劇台本であるということも念頭に置いて考えてみて欲しい。
オプラティムを演じる役者は、このシナリオにおける「ゴルドーの真実」について「冒頭時点でのオプラティムの解釈」と「エンディング時点でのオプラティムの解釈」をはっきりと対比させ、冒頭では「ぜーんぜんだめ」な演技をしなければならない。
「ぜーんぜんだめ」な演技をするには、正しい演技が何に当たるか考えなければならない。それがオプラティムを演じる役者をシナリオの世界に放り込み、没頭させる要素になっている。
それはビゴーも、語り部アルパカについても同じだ。
オプラティムは自分の演技に納得がいっていない。そもそもこの歴史はどこかおかしい。そんな「もやもや」を、オプラティムはずーーーーーーーーっと引っ張って引っ張って引っ張って物語は進んでいく。
これが一体どうなるのか?ゴルドーの真実は?オプラティムは悩みから開放されるのか?読者に期待と不安、キャラを見守り応援したい気持ち、ワクワクを提供する最高の冒頭だ。
3.最初のシーン① せまる「危機」
―――
ビゴー:お前そんなんじゃすぐ降ろされちゃうぞ、主役。
―――
これによってオプラティムの「危機」が示唆される。
この問題を解決しなければ自分の演技と折り合いがつかないほかに、「主役」を降ろされる。しかも入団から6年!!!初めて掴んだ主役抜擢だ!!これを降ろされればもうチャンスは巡って来ないだろう。役者としての成功、収入、生活が失われるのだ。この「危機」はオプラティムが、きっと数ヶ月前から抱えていたこの問題に今ケリをつけなければならない、という強い「動機づけ」になる。
キャラクターが能動的に行動し、何かを勝ち取りに行くことで物語は動き出す。ただ周りに流されているだけのキャラだけ集まっても生まれるのは「停滞」だけだ。
ここで各キャラクターの「動機」を見てみよう。
4.「動機」
オプラティム:役者としての苦悩、主役を降ろされる危機からの脱却。
ビゴー:オプラティムを舞台の中と外の両面で支えること、&口に出すことのできないモヤモヤを解消したい
シーユー:「ゴルドーの美学」を盗む
「十日」:失った記憶の手掛かりに迫ること。
語り部アルパカは今回割愛させてもらうが、この四人は2:2で登場シーンがはっきり別れており、それぞれが共通の行動指針を持ち、ペアで行動している。ティムとビゴー、シーユーとテンペスト、とシーンを繰り返した後、四人は合流する。
ティムとビゴー:リューネシアサーガを成功させるために「ゴルドーの真実」に迫り、役者としての本懐を遂げる。
シーユーとテンペスト:シーユーが狙う「ゴルドーの美学」とテンペストの喪われた記憶、覚えがないのに歌える歌は何か関係があるのではないか。お互いの利害が一致することで、相棒として行動する。
さて、二組の「動機」が見えてきたところで、大きな壁が立ちはだかる。
もう生活が、職がと言っている場合ではなくなる。
キャラを待ち受ける困難は大きければ大きいほど、読み手にスリルと興奮を与える。(理不尽にならないよう加減し、ドラマが生まれるようにすること。)
そう。それは、彼らが罪人として国から追われる身となることだ。
5.シナリオにおける大きな壁
どうしてもゴルドーの真実に触れたい四人。
彼ら四人が信念を貫き、目的を達成するためには反逆者となり、立ち向かうか、逃げ切らなければならない。
ビゴーは抑えていた感情を噴出させ、必死になってティムを制止しようとし、また自分自身をなだめるように言葉を紡ぐ。
このビゴーの葛藤は読んでいてとても感情を揺さぶられる。演じ甲斐があること請負だ。
―――
ビゴー:お前が今から言おうとしてる事はこの「リ・ネシア」を疑ってるってことなんだぞ。
ビゴー:憲兵の動き次第じゃ反逆罪だ。
ビゴー:事もあろうにそれを、大劇団ノベルニアテアトルの役者が言うって?
ビゴー:勘弁してくれ!
オプラティム:(ビゴーの話を無視し)ゴルドーは裏切ってなんかないと思うんだ。
ビゴー:ティム!!!!!!!
シーユー:……へえ?
ビゴー:ティムティムティム、本当にそこまでにそとけよお前、それ以上は言うな。関わるな。
ビゴー:反逆罪だぞ?主役の座はどうなる?今からでも訂正しろ、なあ。
オプラティム:しないよ。ビゴー。
ビゴー:おい。
オプラティム:うるさいな!黙っててよ!
ビゴー:……おまえ。
―――
ティムは意地でもビゴーの説得に応じない。「絶対に曲げない強い意志」これも強く読者の心を惹きつけ、虜にする。このあとどうなるのだろうか。このままではビゴーはティムに愛想を尽かしてしまうのではないかと読者は不安に駆られる。ところが・・・?
―――
オプラティム:君は僕を演技の天才だと言う。
オプラティム:でも、君だって同じだ、僕は君を天才だと思ってる!
オプラティム:だから、きっと君だって同じだろ?
ビゴー:……それは。
オプラティム:そうじゃなきゃ、なんで僕を反逆罪で憲兵に突き出さないのさ。
ビゴー:そんなの……
オプラティム:友達だから、なんて言うなよな。
ビゴー:……ゴルドーが生き残って、反逆罪だと吊るしあげられて
ビゴー:「すべての人間が死んだ」話なのに、「なんでゴルドーが全て悪い話」に歴史が作られてるんだ……。
オプラティム:ビゴー!!(喜びながら)
―――
今まであんなに必死にティムを止めていたビゴーだが、腹の底ではティムと同じ疑念を抱えて居たのだ。(このように予想/それまでの流れに反するセリフは鮮烈で読者の興味を惹く。)
しかしそんな事をおおっぴらに宣(のたま)えば、2人はめでたく国家反逆罪で捕まってしまうだろう。
(彼らの【目的の達成の代償】は、彼らの身に危険が及ぶだけでなく、国自体を揺るがす大事件に発展しうる。これも読者を惹きつける大事なポイントだ。)
こうして物語が進み、シナリオの「対立」が見えてくることにより、人物像の掘り下げも進んでくる。(「対立」については次の項目で解説する。)
役者としての本懐を遂げるために国家反逆罪のリスクを負う二人はどんな人間なのだろう。
それだけの情熱を持った天才役者たちは、家庭を持っているのだろうか。こういった社会への挑戦は、よほど理解のある家族を持っていなければ二の足を踏んでしまうことだろう。
だとすると二人は単身か、配偶者がいるとすれば同じ芸術や舞台に身を置き、信念を持っている同業者かもしれない。テアトルの役者か、脚本家かな?
誰だって捕まりたくはない。けど、彼らは役者としての信念を貫き通す。
そこには葛藤や渇望、正義感、利己的感情、思いやり、様々な感情が渦を巻いている。
その姿に我々は心を動かされるのだ。
「大きな困難」がドラマを面白くするということがわかったところで、「対立」を紹介する。
6.「対立」
前述の通り、ドラマは「大きな困難」によって効果的に生み出される。
「対立」には、ヒーローとヴィランのようなvs他者の対立のみならず、様々なものがあり、ここまでは「大きな困難」と読み替えて紹介してきた。
・vs自分自身
・vs自然
・vs運命,神
・vsテクノロジー
・vs怪物
・vs機械
etc…
このような「対立」のレパートリーを持ち、効果的に選択、配置することが出来れば面白いシナリオを書くのにすごーく役立つ。
実は「対立」を組み込んだ脚本術というのが何千年も前、アリストテレス(著:詩学)の時代から存在するとまで言われている。(理論化されたのは20世紀。)
それが「三幕構成」だ。
7.三幕構成
三幕構成は、ストーリーを3つの幕に分けて書く脚本術だ。
それぞれの幕は【設定】、【対立】、【解決】に分かれていて、その比率は1:2:1となっている。設定と解決が25%ずつで、真ん中の対立が50%を占めている。
詳しくはこちらから確認して欲しい。
この三幕構成の面白いところは、「こうすればこうなる」という数学の公式じみたものではないということだ。
三幕構成は、「面白い作品ずっと観察してきたけど、だいたいこの型に収まるよな」という帰納的(いわば統計的)に導かれた法則なのだ。
我々はそれを演繹的に(公式のように)使う。そうすると、数千年の先人が積み上げてきた本来「センス」でしか説明できないはずのテクニックを振るうことができるのだ。こんなに得なことはない。
「THE LAST SONG」は三幕構成で書かれている。ではどこまでが「設定」で、どこからが「対立」のはじまりか、考えてみよう!あとで説明するぞ。
8.最初のシーン② 説明臭くならずに説明する
―――
オプラティム:なあ、このセリフってさあ。
ビゴー:んー?
語り部アルパカ:メェー?
オプラティム:本当に、リューネシアの王様の最期のセリフ?
―――
ここから続く一連の会話では、ティム、ビゴー、アルパカの三者の会話によって、【リューネシア史上最悪の堕落騎士「ドル・ゴルドー」】がどのようにこの世界で語り継がれているのか、このメンバーがどんな関係性でどういう人物なのかを感情豊かに説明してくれている。このセリフの応酬は説明くさい「情報」の伝達ではなく、感情の揺れが描かれ、しっかりとキャラクター同士を引き立てる作りになっている。
―――
(オプラティム:わかってる、わかってるよ? こんなの大抜擢。頑張らない他はない、わかってるんだけど……。
ビゴー:じゃあ何をそんな燻ぶってんだよ。)
(オプラティム:違う気がするんだよ、何度この王様に同化しても、考えても、降ろしてみても、全然しっくりこない。)
(ビゴー:おいおいおい、天才役者さんは違いますなー、言うことが。)
(ビゴー:だが、今回の「リューネシアサーガ」でまさかの主役に大抜擢だ!)
etc…
―――
9..最初のシーン③ 対照的なコンビ
シーユー(美学怪盗)とテンペストは凹凸コンビだといえる。
シーユーが話を牽引して、少々無愛想なところはあるがテンペストがそれに付き合って、会話が成立している。
性格の違う2人が関わると、色んな表情が見えてくるから読者としては楽しい。
信念や驚き、呆れ、可愛げとか。いいよね!
そうして登場人物が皆紹介されたところで、これである。
―――
シーユー:ゴルドーの「美学」を盗みにきたの、私。
タイトルコール
◆◆◆リューネシアサーガ戯曲「The last song」
―――
はい。ここで「設定」が終わりです。ここからが三幕構成で言うところの「対立」のはじまりだ。
10.「解決」へ
「対立」のラストでは四人がそれぞれの信念や美学に触れることで一体感を得、ついにシーユーの能力によって「ゴルドーの真実」が明らかになる。
「ゴルドーの真実」は、これもまたただの説明にならないよう、「示唆」に富んだ表現が多用されている。多くは割愛するが、例えば「ネズミの王」。
ネズミのエポックを使うことで、その歌に籠められた意味や、「なぜこのような結果にたどり着いた?」と読者に考えさせるつくりになっている。全てを示すのではなく、示唆することで、ラストまで読者の心を鷲掴みにしてくれている。
11.「ラスト」
この物語の最後では、ティムとビゴーが役者としての本懐を遂げ、主役の二人が憲兵にとっつかまる。主人公、逮捕!!衝撃のラストだが、それでも二人は満足のいく演技ができたに違いない。(逮捕されたのは不服だろうが。)そんな清々しさが読者の心を通り抜けていく。
さて、「THE LAST SONG」とは何なのか。最初に触れるべきこれを最後にとりあげて本稿を締めくくろう。
12.タイトル「THE LAST SONG」
タイトルは物語を最も短い言葉で表すものであり、最初に人の目に留まる重要なものだ。それがどんな意味を持つかは、たいてい読了とともに明らかになる。
これをただ物語を象徴するものにしておくよりかは、【重要事項①】も盛り込んでおいたほうがよい。
最後の歌。また、LASTは動詞では「続く」という意味も持っている。読み進めるなかで、「THE LAST SONG」とはなんなのだろう?そう疑問を抱きながら読んでもらうことで、読者は真相が楽しみで仕方なかっただろう。
この物語は正確には「THE LAST SONG」美学怪盗 と題されている。
これは、この物語が今後も続いていくことを示唆している。テンペストとは何者なのか?ほかにも明かされていない謎がまだまだある。読者に問を植え付けて終わるというのも、またこの物語の素晴らしいところだ。
「THE LAST SONG」(第一幕)美学怪盗
一度読み始めたら最後まで面白く、声劇台本としても演じ応えのあるシナリオだった。すべてはここに書ききれなかったが、大事なのは「面白い」を沢山散りばめ、読者を夢中にすること。
これを胸に刻んでいろんなことを吸収していけば、次はもっと面白い作品が書けることでしょう。
がんばろ〜う!!!
おわり