DAY80 太陽と埃の日々⑤ ベツレヘム 抑圧と祈りの国
きっかけは、おとといのモシェさんの一言。
「僕はベツレヘムに行くことはできないよ、命の危険すらあるからね」
無知は罪だ。
特にイスラエルのような政治的事情のある国で、無知なままはしゃいでいることは罪だ。
イスラエルの抱える事情についてはご存知の方も多いと思います。
僕は恥ずかしながら調べれば調べるほどわからなくなっているのが現在です。
そのため見解に大いに間違いもあると思います。その場合は見逃してください。
まだ勉強は続けます。
現在起こっていることは、1つの国土を2つの国(民族)がそれぞれ自分のものだと主張した結果分け合うことになったけれど、それは不平等なものであったため折り合いはつかないままで争っているということ。
どちらが善悪かを断じるつもりはないというか、今の僕の知識で判断するのは不可能であり危険なことです。
だけれども、これまではイスラエル側(ユダヤ、アメリカ主導の国)からしかこの国を見ていません。
パレスチナ側(イスラムの国)からも物を見ないと何も始まらないなということで、今日向かったのはパレスチナ自治区ベツレヘム。
今日は安息日、ユダヤの休日なのでアラブ系のバスしかないとのこと。
いわゆる皆さん(私も)の抱くイメージ、危険、紛争、怖いの火種に飛び込むわけですから既に緊張です。
旧市街、ダマスカス門前のバスステーション。
231のバスを探せとネット情報。
行ってみるといました。
「ベツレヘム?」と聞くとそうだよと。
まず第一関門クリアで乗り込んでみると、予想を超えて多数の欧米人が。
ベツレヘムにはキリストが生まれたという生誕教会もあり(これもまた厄介なのですが)、そのため多くの欧米人も向かう観光地になっているそうです。
少ししてバスは発車しました。
ベツレヘムまでは8km程度。
時間にして30分前後。
しばし走った向こうに、壁と検問が見えます。
行きにはチェックはありません。
街中でバスを降りるとタクシーの運転手がわらわら囲んできます。
みんな欧米人に群がりますが僕はぽつん。
1人だけ話しかけてきたので値段や時間の話を。
名前はサム。
結果論で言いますが、交渉した結果でも相場より全然高かったです(薄々わかってたし最後に食堂の兄ちゃんと相場について話して確信)。
でも彼はいいガイドをしてくれたし、こちらの無知が故のセンシティブな質問にも誠実に答えてくれたからボッたとは思いません。
本当の意味での授業料です。
さておき。
この目で見たかったものは
・難民キャンプ
・分離壁
・分離壁アート、バンクシーアート
・生誕教会
以上の順でしたが都合よく以上の順でタクシーは回ってくれました。
生誕教会については世界中のカトリックが来たがる聖地なのでしょうが、それ以上にパレスチナの現実のほうが心に刺さったので割愛します。
難民キャンプへ。
キャンプと言うとテントのイメージでしたが、普通に、いやむしろ古いくらいの建物です。
サム「なんで建物かと思ってるんだろ?このキャンプはできて70年だ。自分の元の家に戻りたいと願っていても叶わないまま住み着いたのさ」
キャンプという名前は名残、実際はエリアとして存在しています。
そのエリアに入るために何か検問などがあるかと想像していたのですがそういうのはありません。
道の右側、ここからあのへんまで、というくらいの認識です。
日本人がのこのこ入っていったらどんなリアクションなのだろうかと緊張していたら、サムも一緒にキャンプ内を歩いてくれました。
しかし、サムが一緒だからというのを抜きにしてもフレンドリーな人たち。
僕に対しても普通に挨拶をしてくれます。
そして何より子供達。
カメラを向けると隠れてしまう子、向こうから話しかけてくる子と様々ですが、みんな興味深くこちらを見てきます。
この兄弟は、兄弟から挨拶をしてきてくれました。
路地で会って、その後ファラフェル(という食べ物)屋さんに並んでいるところで会って。
弟ちゃんのほっぺた撫でながら、絶対伝わるはずはないけれど日本語で「元気でいろよな」って話しかけたら涙が出そうになって。
でも涙を見せたりしたらこの子の人生に対して失礼でしかないからそのまま立ち去りました。
日本語で話しかけたのも、伝わってほしくなかったからなのかもしれません。
この子の日常を、異邦人の勝手な一言が壊したらいけないから。
キャンプ内、民家の壁の落書き。
岩のドーム。
僕「岩のドーム?なんで?」
サム「俺らがこの自治区を出てエルサレムに行くためには、特別なビザを入手しないといけないし、それはとても大変なことなんだ。だから現実的に、この目でこの聖地を見ることはきっとできない。だから願うんだ、行きたいと」
僕「エルサレムにもたくさんのムスリム(イスラム教徒)がいたけれど、何が君らと違うの?」
サム「ID(身分証明書)が違うんだ。俺らはグリーン(IDの公式のカバーの色)。これではパレスチナを出られない。エルサレムに住んでいるムスリムは青。これを持っているとエルサレムもパレスチナも自由に行き来ができる」
僕「同じ人種なのになぜそれが分けられてるの?」
サム「戦争だ。(第一次中東戦争?)戦争のときにここパレスチナに留まった、もしくは現在のイスラエルからこちらに移って戦ったアラブ人は緑。イスラエル側について留まったアラブ人が青。」
キャンプの中の、大きな鍵のオブジェが乗った門。
僕「あの鍵はどういう意味?」
サム「イスラエル人の手に渡ってしまった昔の家の鍵さ。難民はもう帰れない。でも鍵は渡さない、そんな意味なんだ。」
例えとしては悪いですが、明治維新、戊辰戦争の新政府軍と旧幕府軍での生活待遇に大差がつき、それが現代に至るまで子々孫々続いていると考えたらどうかと。
僕の神奈川の実家は新政府軍に接収されて勝手に他人のものに。
福島、山形の南側の県境には高く長い壁が作られ、特別な許可がなければ壁の向こうには行けない。
富士山を一度は見てみたいけれどそれは儚い夢でしかない。
こんなことがもっともっと小さいエリア半径30kmの中で起きているわけです。
壁とは何か。
これがそうです。
高さ10m、パレスチナ自治区を全周取り囲んでいて、その全長は755kmだそうです。
武力を振るう不届き者がイスラエルにいたらパレスチナの皆さんが危険だから安全のために作りましょう、という名目でできた壁。
でも実際の壁からは、「お前らはここから一生出るな、むしろこれだけ土地をやったんだから有り難く思え、越えたら殺すぞ」という意思しか感じられません。
この威圧感が写真では伝わらないことが悔しいです。
人間の尊厳として、不本意に威圧されれば抵抗するもの。
その抵抗の証がこれらウォールアートです。
エルサレム初日の夜、エルサレムでは著名だとされるストリートアートのおっさんの案内で市内の絵を見て回ろうツアーに参加しましたが、全然違います。
こちらには、怒りと主張があります。
悪いけど、エルサレムのものはただの贅沢な遊びにしか感じられません。
ウォールアートで世界的に有名な人、正体不明のストリートアーティスト、それがbanksyです。
日本ではあまり知られていませんが、海外では一般常識レベルで有名だそうです。
僕も実は最近知りました。
そのbanksyがここベツレヘムでいくつか有名な作品を残している(多くのコピーも存在)とのことで、いくつかあるオリジナルのうち2つを見に。
防弾チョッキを着た鳩。
市内中心近くのお店の壁。
フラワー。
市内外れのガソリンスタンドの壁。
最近知った身ですので論評などできませんが、ただ一言、すげえなあ、と。
他にも足を伸ばして遺跡とか行かないか?とサムから提案がありましたが、金も時間もない、それ以上に、今見た「現在」を整理する時間がほしくて過去の遺跡など見る気になれません。
生誕教会だけはさすがにここまで来たら外すのはナンセンスですので行きましたが、2000年前に生まれたイエス様のことより、10歳にも満たない難民キャンプの子供達のことのほうが頭を占めています。
帰りのバス。
行きはスルーだった検問にバスが止まります。
乗客の一部のアラブ人がバスの外に出て行きます。
残りのアラブ人と、僕を含めた外国人は車内にステイ。
他の方のブログでは
パレスチナ人が外に出されているとありますが僕の見た光景は、出ている人たちが「青」。
車内には自動小銃を持ったイスラエル軍兵が乗り込んで来て、1人1人IDをチェックしています。
僕も簡単ではありますが念のためパスポートとビザ(入国カード)の提示を求められました。
そして最後に外で青IDのアラブ人が一人一人面接されています。
偽造のチェックと考えれば辻褄が合うので、恐らくそうなのでしょう。
全員のチェックが完了したらバスは再びエルサレムへ向かいます。
最初にも書いたように、イスラエルとパレスチナ、どちらが善でどちらが悪か、それを断じることは今の僕にはできません。
(この原因を作り出してほっぽったイギリスと、イスラエルにズブズブなアメリカは悪いと思います)
ただ一つだけ。
パレスチナの子供たちの目が曇る日が来なければいいなと。
それが綺麗事だと言うのなら、その日が一日でも遅くやって来ますようにと。
そう、願っています。
<今日の支出>
・食費 131s
・宿泊 120s
・交通費 13s
・観光 209s
・土産 99s
合計 572s
最後に、サムにした質問。
僕「自分たちをこうした張本人はアメリカだってわかってて、でもこうやってアメリカ人がたくさんベツレヘムに遊びに来るのは嫌じゃないの?」
サム「イージーな質問だ。喧嘩は政府が勝手にやってるだけで、人はみんな友達だよ。」