身体の感覚
身体の感覚を感じとることってありますか?
何も症状がない状態で身体の感覚を感じとることをしてますか?
治療家なら絶対にやって欲しいことです。
人の身体は診ても自分の身体を診ないことが多いと思います。
人の身体のことは全て自分の身体にもあらわれています。
漠然と捉えるということは難しいのでまずは呼吸から入っていきます。
普通の呼吸で空気の入り方を感じてみてください。
この場合、呼吸の入りにくさを感じるのではなく、空気が入ってくるそのままを感じる。
ということをやってみて欲しいのです。
ただ感じるということですね。
そうすると右と左で空気の入り方がやはり違います。
入ってくる場所も違うことに気づきます。
筋力検査をする場合、この感覚がとても大事です。
しかしジャッジしないでください。
善か悪か?
緊張か弛緩か?
強いか弱いか?
というジャッジをするのではなく、そのままの感覚を受け取る練習をするということです。
そうすると右と左、前と後、上下で違いが形として浮かび上がってきます。
ジャッジをしてしまうとどちらかが良く、どちらかが悪いということになります。
呼吸をそのままの形で捉える訳です。
ネットを見ていると医療だけでなく、あらゆることに何が良いとか悪い。
これが真実だ!!
みたいなことが一杯書き込まれています。
見れば見るほど飽き飽きしてきます。
良いも悪いも一つです。
どちらかを良くすれば、どちらかが悪くなります。
そうではなく良いも悪いも一つで見ることが大事というより、それもありなんです。
右か左か右か左のどちらでもないか!!
決めきる必要はないということですね。
これができるようになると治療の手技ももの凄く変化します。
鍼を打つ角度とかも決めなくても、穴の位置をキチンと決めなくても全体を捉えて調整することができます。
ただ全体をそのまま認識する訳です。
説明は後からいくらでもできます。
ちょっとした知識をつければなんとでもなります。
でも知識ではこの全体像はつかめません。
だから順番が逆になってしまうのです。
もちろん知識は大事でそれを元にして実践があります。
でも知識を伴った実践では駄目で、ただ実践する。
知識を伴わない実践を行う。
その実践で得たものをまた知識に変換する。
それを人に言語化して伝える。
言語化できてはじめて自分のものになります。
その訓練をしていると一目見ただけで、その方法を本質がわかるようになってきます。
普通は得た知識で実践をして知識を含んだまま人に伝えようとします。
だから知識としては伝わりますが、実践として伝わりにくい。
治療家の皆さんには実践してもらいたいことがあります。
いつもくっついて患者さんを観察している人は少し離れてみてください。
離れて全体を診るだけでも全体が浮かび上がってきます。
そして離れた状態でしか診断しないでください。
大きな進歩があると思います。
そのためにも自分自身の全体を観察するということが大事です。
観察している自分は、観察されている自分です。
その境がなくなった時、一つになります。
それができなきゃ色々理屈をこねても何もできない。
まずは自分が呼吸になる。
呼吸そのものになる。
それを広げて身体になる。
身体と空間の区別がなくなる。
しかも自然になくなる。
私達はジャッジをし過ぎました。
何が良い。
何が悪い。
でも良いものは必ず悪いものを作ります。
観察者になって評価すれば、必ずその評価は観察者によって評価されるという仕組みです。
どこまでいってもこれが変わることはありません。
それに振り回されず全てを全てのまま感じる。
自然に心が落ちついてくるのではないかと思います。