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愛と心配

2023.07.01 09:25

「幸せも・苦しみも自分の選択だ」と言えば どのように思われるでしょうか?。

「可愛い子には旅をさせろ、」「若い頃の苦しみは買ってでもしろ」ってお聞きになったことありますよね。本当に 苦しみは買う価値があるのでしょうか?

苦しみって何でしょう?

自分が作り出していると言ったらどのように思われますか?

卑近な例で説明しますと のどが渇いて 水を探すとします。

コップに半分の量が入った水が見つかりました。これを観て「半分しかない」は苦しみを選択することにり「半分もあるは」楽しみを選択することになります。

でき事は受け取る自分の選択次第で 苦・楽が決まると言えます。

(価値は自分が決めるものとも言えます。)苦楽表裏一体です。

であれば 人生・自由自在なはずです。

このことを人間関係の原型とも言える親子関係で見てみたいと思います。

幼い頃 母を無くするとします。 こんなこと誰でも起こって欲しくないことですよね。

殆どの人にとって苦しみです。幼い時に目の前で母を交通事故で亡くし 哀れな子として生き、40歳を過ぎても閉じこもったままの男性を知っています。

亡くなった母に執着し 父の愛も、新しい母の愛も受け取る意志を持たないで被害者として生き続けてきました。

また 死産をした女性が  亡くなった子以外の 健康に生まれた子どもを愛することができず育児放棄せずにはおれないケースを幾例も知っています。

多くの場合 母としての自責の念が 亡くなった子への執着心に繋がります。執着心は過去に生きる在り方と言えます。

二例とも 自分の期待を裏切る出来事に圧倒され つまり自分の願いに執着し 苦の裏にある楽を知ることができず 苦しみの情に溺れています。

母を亡くした幼子の苦しみはどのように楽に転じられるのでしょうか?

母を亡くした故に 身辺自立を早くできた。それ故に愛の大切さを知るものとなった。

それ故に人の痛みを理解できるものとなった。

人が憂うと書いて優の字になります。優しい、優れていると読みます。

苦が楽に転じられると 慈悲が培われ始めることがよく分ります。

死産をした女性は 失ったものに執着しないで「足るを知る」知恵があれば育てる責任のある愛子を 愛し育む喜びを得ることができたはずです。子育てを通して慈悲育てをする恵みを得たはずです。

和多志も長男の出産は難産で 生れてはじめて救急車で病院に運ばれ 医師からは母子ともども命の保証はできないと宣言され 一晩中 押し寄せる陣痛に苦しみぬきました。

ようやく生まれた愛子に「よく生まれてきたね」と心からの感謝と喜びを伝えずにはおれませんでした。これも苦楽表裏一体です。

それはさておき 苦しみは買うほどに 価値があるとまで言えるのでしょうか?

みなさんは筋肉トレーニングを知っていらっしゃいますね?使うほどに筋肉は強くなります。

楽をして身体を動かさなければ 身体の機能は停滞し、遂には使わない機能は失われてしまいます。楽の裏の苦しみを示唆します。

転ばぬ先の杖を用意する子育てに警鐘が鳴らされています。

過保護過干渉な大人が 子どもが失敗から学ぶチャンスを奪い取り、ストレスに弱い 軟弱な子ども 新型鬱の予備軍育てをしているからです。

子どものために心を砕いて 慈悲を注いでいるかのような錯覚を持ち、ありのままの子どもを尊重しないで 自分の枠にはめようとするからです。そのような関わりからは真楽は生まれません。

一方子どもは 親の関心を貪るために 相手の期待先取りで 頑張ります。いい子が危ないと言われてきた所以です。

いい子とは普通周りの大人にとって都合のいい子を指します。

楽の裏の苦に警鐘が鳴らされているとも言えます。

ネグレクトも溺愛も 愛の誤用 誤った愛 誤った楽の追及 つまり アブ(否定の接頭語)・ユース=アビューズ、虐待です。

現在を生きて 要約 楽は訪れます。

真実の楽を模索する 親子関係こそ 四無量心への誘いとなるのではないでしょうか?


慈愛マスター@TOMMYEL77

愛する人の心配をする人は多くいます でも愛と心配は似ているように見えますが違います

よく心配する人は信じて見守るといいですよ

心配するのではなくうまくいくと信じてください 信じることは最も振動数が高いことなんです そしてなによりも自分を信じてあげてくださいね


Facebook相田 公弘さん投稿記事·

「与え過ぎると奪うことになってしまう」というお話です。

【得るものを変えたければ、与えるものを変える】これは間違いなく、真実だと思います。

しかし、与えることばかりを意識してしまって、与えすぎることによって奪っていることを忘れがちです。とくに、人を育てるときには、気を付けなければなりません。

例えば、エサを与えられて育った動物は、野生に戻ったら自分でエサを得る力を奪われてしまいます。

なんでも与えられて育った子供は、自立する力を奪われてしまいます。

良かれと思って、悲しい経験や苦しい経験をさせないようにする代わりに、喜びや達成感などを奪っているかもしれません。

植物も、水を与えすぎると根が腐ってしまいます。人間の身体も、栄養を摂り過ぎると肥満になってしまいます。

デンマークの哲学者キルケゴールの「野鴨の哲学」というものをご紹介させていただきます。

___

ジーランドの湖に一人の善良な老人が住んでいた。

老人は毎年遠くから飛んでくる野鴨たちに、美味しい餌を与えていた。

野鴨たちにとって、美味しい餌もあり景色もいい。

この湖で過ごす季節は、豊かで健康的で恵まれたものだった。

しかし本来、野生の鴨は渡り鳥だから、ひとつの湖に住みつくことはない。

ある季節を過ごしたあとは、餌を求めて次の湖に飛び立つ習性がある。

ところが鴨たちは、だんだんと考え始めた。

こんなに景色が良くて、こんなに美味しい餌があるのに、何も大変な苦労をして餌を求めて次の湖に飛び立つことはないのではないか。

いっそのことこの湖に住みついてしまえば、毎日が豊かで楽しく健康的で、恵まれているではないかと。

そんなことで、この鴨たちはジーランドの湖に住みつき、羽ばたくことはなかった。

それからの野鴨の生活は、なるほど確かに恵まれていた。

そんなある日、野生の鴨たちに重大な出来事が起きた。

おいしい餌を用意してくれていた老人がとうとう死んでしまったのだ。

明日からの食べるものがなくなった。

野鴨たちは次の湖へ餌を求めて飛び立とうとする。

しかし、どうしたことか、数千キロも飛べるはずの羽の力がまったく無くなって、飛ぶことはおろか駆けることさえも、ろくにできなくなっていた。

さらに不運は続く。

近くにあった高い山からの雪解けの激流が湖に流れ込んできた。

他の鳥や、動物たちはとびたったり丘に駆け上がったりして激流を避けたものの、

醜く太ってしまったかつての野鴨たちは、なすすべもなく激流に押し流されてしまった。

___

自分がいなくなっても尚、幸せに生きていけるように、

時にはグッと耐え、厳しく見守ることが必要な時もありますね♪

「お金をただ与えるだけでは人を堕落させる。

努力している人に援助することが本当の慈善である」

by アンドリュー・カーネギー(アメリカの実業家・鉄鋼王)

目的や想いを忘れずに、与えていけたらいいですね♪

※魂が震える話よりシェア❗


Facebook向後 善之さん投稿記事

「母という呪縛 娘という牢獄」 齊藤彩 著 講談社  すごい本でした。

実際にあった娘による母親殺害事件のノンフィクション。

国立大医学部を目指し9年間浪人した(させられた)あかりが、看護学科に進学し国家資格を取っていよいよ自分の人生を歩み始めた矢先に起きた事件です。あかりの母妙子は娘の看護学科受験は渋々諦めますが、看護の道に進むのなら助産師にならなければいけないと娘をコントロールしようとします。しかし、あかりは助産師になる気持ちはなく、大学の手術室の看護師になりたいと思っていたのです。あかりが助産師の学校の受験に落ちた翌日、この惨劇が起きました。母親を殺し、死体を処分します。

読んでいて、苦しくなりました。

妙子は、あかりに対して「生まれたときから医者にしようと思っていた(p.83)」と口にしています。

そして、あかりを5歳ごろから近所の英会話教室に通わせ、学力テストは100点満点の90点が最低ラインというルールで縛りつけます。

中学受験の時も大学受験の時も、あかりは一教科につき二~三冊の参考書を買い与えられ(p.96)、それを解くように言われていました。

あかりが妙子の要求に応えられないと、クローゼットに閉じ込める、鉄パイプで背中を殴るなどの虐待もありました。中学のときには、太腿に熱湯をかけられ火傷したこともあります。

妙子の罵声には、「詰問」「罵倒」「命令」「蒸し返し」「脅迫」「否定」など、いくつかのパターンがありました。

そのいくつかを以下に挙げます。

・詰問;「何でこんなことが分からないの?」

・罵倒;「嘘つき」「バカ」「デブ」「不細工」

・命令;「言い訳しない!」「勉強しろ!」

・蒸し返し;「あんたは保育園(小学校、中学校)のときから・・・」

・脅迫;「お父さんみたいになるよ」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」

・否定;「あんたなんか産まなきゃよかった」「死ねば良いのに」

・その他;「人は人、関係ないでしょ、目標が違うんだから」

こんな生活を続けているのに、あかりは母親に対し素直です。いつも丁寧な言葉で謝り続けるのです。

逃げればよかったのに・・・と、読んでいて何度も思いました。実際、あかりは何度か逃げようとしているのですが、母親がその度に連れ戻しました。妙子は、探偵を頼むということまでしていたのです。

唯一安心できる場所は、父親だったのですが、あかりが小学校6年の時に、父と母が別居することになりました。父のビルメンテナンスの仕事は昼夜問わず頻繁に呼び出しがあり、父はそれに対応するため職場近くの社員寮に単身で住まうようになった(p.62)のです。

それでも、なぜ父親がもっとサポートできなかったのかと思う人もいるかもしれませんが、それは難しかったと思います。妙子のような人たちは、決して父親に口出しをさせないように子供を囲い込んでしまうのです。この辺りのことは、この本には書かれていませんが、娘の学費などはアメリカにいる妙子の母親タカコからの援助を受けていたようですし、妙子は夫の学歴をバカにしていたようなので、教育には口出しさせてもらえなかったのではないかと思います。

20数年心理の世界に関わってきて感じることなのですが、実は、妙子がやっていたようなレベルではないけれど、それに近いことは、お受験に執着している親がよくやることなのかもしれません。「ブラックジャックのような医者になりたいんだよね」、「ドクターXみたいになるんだよね」と、小さい頃から親が洗脳していた例も、早期に英会話を始めさせ、小学校低学年から英検を受けさせ、子供を英語嫌いにさせてしまった例も、点数に固執するあまり「間違いから学ぶ」という意識ではなく「間違うのが恐ろしい」という反応に子供を導いてしまっている例も、強迫的にたくさんの参考書を与えてしまった結果、処理するのに忙しく落ち着いて考える時間がなくなってしまい、逆に成績が落ちてしまった例もたくさんあります。

また、妙子のような「詰問」「罵倒」「命令」「蒸し返し」「脅迫」「否定」のセリフを吐く親を何人も見てきました。みんな同じようなセリフで子供を精神的にコントロールし罵倒し傷つけていました。

そして、学歴・キャリアへの執着は、母親に限ったことではありません。最近では、父親もお受験に参入し妙子と似たようなことをやっている例を見かけます。両親から責められたら子供はたまったものではありません。

どんなに酷いことをされても、子供は親から認めてもらいたい、親に喜んでもらいたいと思うものです。

あかりは逮捕されてからも、頑なに母親の殺害は認めませんでした。母親は自殺ということで押し通し、死体損壊・遺棄罪の判決に持ち込めるはずでした。しかし、あかりは、最後の最後に母親殺害を自白するのです。

あかりが最後に母親殺害を自白したのは、自分の気持ちを深く理解してくれる人がいることに気付いたからです。そして、その人たちは、あかりが殺人者になっても彼女を理解しサポートし続けました(ネタバレになるので、その詳細は書きません)。

今の世の中、あまりにも人を、学歴・年収・容姿などのタイトルでジャッジしすぎなんじゃないかと思います。タイトルはそれだけだったら、不幸を産むだけです。上には上がいるし、油断すればタイトルを失うことになるし、常に不安にさらされているわけです。

幸せとは、タイトルとは関係のない、何気ない体験でもたらされるのではないかと思います。あかりは、どん底まで落ちた後、タイトルとは無縁の、小さな、しかし大切な幸せを感じることができたのではないかと思います。そして、罪を償ったら、初めて彼女が、自分の人生を歩んでいくと信じたいです。