マチスの記憶と表現
それはもう30年以上前のこと
南仏のあたりを自由に旅していた。スペインから始まったその旅はアートと出会うには贅沢な旅だった。ピカソから始まり、それぞれアーティストごとに素晴らしい美術館がたくさんあって。時間をとって気の済むまで楽しむことができた。
その中で感動を持って最高の経験がヴァンスだった。プロガンスの宿のマダムに頼んで調べてもらい一般が公開される(予約もしてもらった?)マチスの教会。丘の上にあって白にゴールドのロザリオが空の青に映えていた。バスでかなりの時間をかけてヴァンスのその村に向かい。マチスの晩年切り絵で表現する「ジャズ」がいかにも有名だが。そのミニマムな表現でプロデュースされたその教会は、ヨーロッパ各地を回り最初に出会った「サグラダファミリア」も強烈だったが(それはまだまだ骨格ほどの状況だったが)私史上最も感動したとなった。白の漆喰だけで作られたそこにシンプルに鮮やかなブリリアントブルーとイエローで葉をモチーフにしたようなステンドグラスから差し込む陽が教会内の白を染める。その空間は清楚で美しく修道女の説明くださるフランス語が厳かに優しく全くフランス語を理解できない私の心に染み入り、涙が出そうだった。連れの友人は静かに泣いていた。
白いタイルには筆で黒くまるで即興で描かれたように描かれたマリアとキリスト、そして聖書の中での十字架にかかるまでのストーリーも描かれていた。
演壇には手捻りで作られたような十字架があって。全てが繋がっていた。
優しく少し愛らしくもあるデザインの教会
先日偶然マチス展にいくこたができて。映像としてその姿をもう一度見ることができた。夕方までバスの都合でいられなかったので、夕闇から日没後の姿も見ることができた。
さて
彼の表現の変遷は詳しくなかったが。表現の始まりから徐々にキュビズムへと表現の葛藤の様子やデッサンや彫刻を持って肉感や対象の質感のありようを一次元の絵の中で表現しようと試みているようだった。
またとても興味深かったのは女性の腕の表現。艶やかで滑らかなで細かなせんがよりその艶やかさをたおやかに表現している。その対象を対比するように周囲の家具や生物たちはまるで幾何学がのように平面的に表現している。それにより対象が息づく。
デッサンや彫刻の様子からその輪郭がやがて切り絵に続く表現につながっているようにも思えた。
また今回初めて出会った「窓辺のバイオリン弾き」。戦争当時の彼自身なのか 頭のところが曖昧で強くその彼自身がそこにあった。
そうした表現者としての始まりから晩年までを通して見せてくれた今回の展覧会に感謝したい。
※マチスインターネット記事より