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中村鏡とクック25cm望遠鏡

私が星を覗き初めた頃

2023.07.02 07:00

伊達英太郎氏

(伊達氏が念願かなって入手した五藤式[36mm色消しレンズ]ダイアナ號。三脚部は特注品のようです。その奥に横向きに見えるのが、ガリレオ式シングルトーメガネ?) 

「早いものです。光陰矢の如しと申しますが、私が星と言うよりも望遠鏡に憧れ出してより、もう一昔にもなります。その頃の思い出を書いて、現在星の趣味に入ろうとなさっている方々と比較してみるのも面白いと思い、貴重な紙面を借りて駄文を草してみました。

 思い出せば10年前の大正15年(1926)、それに前から祖父伝来?の小さい双眼鏡(これが現在盛んに活躍しているから妙なものです)で月を覗いて、アバタの見えないのを、悲憤やるせなく思っていた私に天からの授けものと驚喜して求めたのは何と驚くではありませんか、子供の科学から当時月のよく見える望遠鏡として売り出していた、ガリレオ式のボール紙三段伸ばしのシングルトーメガネだったのです。10倍程の月が視野一杯になって見にくいのを我慢して見ていましたが、その頃の私としては一大発明とも申すべき、少倶代理部の顕微鏡のアイピースを用いて筒も作り替えて25×のやっと望遠鏡らしいものに作り替えました。得意だったですね。毎日登校前と帰宅後に太陽を白壁へ投影して、黒点を記録しては楽しんでいました。もちろん色付きの美しき像です。像の縁が空気の動揺のためユラユラ燃えているように見えるのをプロミネンスと間違って超然としていたり、出鱈目な赤道儀を用いて、黒点が北から南へ出没するのを何とも感じなかったあたり、大したものでした。紫色のウンとついた月を見て、「オオ、麗しの月よ!」てなことを叫んだものです。金星等全く、五色美しきもので、五彩の星テナ考をもっていました。それでも木星の衛星がどうやらこうやら四つ見えていたのに満足していました。ところが、幸か不幸か?一友人が外国製(たしかクラウスだったと思います)の色消しの三段伸ばしの金属製景色用正立像のテレスコープを誇らしげに持っているのを借りて、一夜木星と金星を見た私はどんなに煩悶したことでしょう。寝ては夢起きてはうつつ幻の・・・・とマア、モダエクルシンだのでした。色消しレンズを欲しがってデス。無理もありません。今のように、自称アクロマティックレンズが雨後の筍のように出る時代ならともかく、1インチ(約2.54cm)シングル50×の五藤式望遠鏡が3,40円もしたのですから。学生の私には、実に他山の石でした。」

(引用)

京星第4号,京都市京星会,1935.6.25,p.33~35)

 伊達英太郎氏(1912~1953)が、双眼鏡や望遠鏡に興味をもち出したのは、この文章によると10代前半ということになります。五藤式望遠鏡の価格は、現在の貨幣価値に換算すると、20000円〜25000円ほどになります。

 アマチュア天文家・伊達英太郎氏の原点とも言える文章ですね。