深層瞑想ワーク
FacebookYuriko Ohnoさん投稿記事
深い瞑想をして、自身のイノセンスー無邪気さとつながりませんか。💗
ゲリーの「深層瞑想ワーク」がYoutubeにアップされています。すばらしい誘導瞑想です。クリックして、ぜひ瞑想の体験してみてください。 印(ムドラ)もパワフル😆
①のほうは1時間15分ぐらいからスタートします。
https://ameblo.jp/iunityyuri/entry-12810644129.html?fbclid=IwAR2lmI70bcONcxDJVVbOHAxgYmOd12ccKySUKLwDAD4TrhKmyWJRf9qktjI 【すばらしいゲリーの深層瞑想 あなたは一度も間違ったことはしていない】より
深層瞑想、、ディープメディテイション。
深い瞑想は、内側から私たちを変容させます。
ゲリーさんが以前に行った深層瞑想2日間のセミナーは、私にとってもとても大切な体験になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=lUAttQec8Kw&t=1s
その瞑想がなんとノウイングウェイジャパンのYoutube チャンネルにアップされています。
これはぜひぜひ体験していただきたいです。
You haven't done anything wrong
You haven't done anything right
あなたはいままで間違ったことは一度もしてこなかった
あなたは今まで正しいことも一度もしてこなかった
瞑想の部分は1時間15分のあたりからスタートします。
一元の世界は正邪、善悪を超えたところにあります。
自分のほうが正しいと思うからこそ、人を裁いてしまいます。ここは言葉にすると難しいし、誤解を生むところですが、二元性を超えるということ。
自分という存在を小さく区切ってしまっている壁…
過去も未来も壁(バウンダリー)という言葉がぐっと突き刺さります。
https://www.youtube.com/watch?v=_vVpSMThpOM&t=1s
ジャッジをやめれば、正しく在ることができる、、、。
すると、私たちのパワーの根源の無邪気さ、純真さにつながることができます。
ゆっくりセルフパワーとつながってくださいね。
聖書に「園の中央にある善悪を知る木から取って食べてはならない。食べると死ぬから」と書いてあります。
取って食べたアダムとイブは 神を失い、楽園を追放されます。
この神話は「善悪の区分をすることは自己を神化することであり、絶対的な善悪は 存在しない」ということを語っているのではないでしょうか。
「ハートビーイング」というライフスキルプログラムがあります。
その中で人に言われて 嬉しかった言葉を書き出す作業をします。
いつもと言って良いほど トップになる言葉があります。それは「ありがとう」です。
感謝の言葉が 人を癒し 愛の循環を生む力を持つことが良く分ります。
若い頃の和多志はモラリストが嫌いでした。偽善者のように思えたからです。
しかし偽とは人(の)為と書くのも面白い。
道徳律を押しつけられるのも嫌でした。
ひところ不登校が話題になりました。「よい子で頑張ること」が 不適応を生む大きな 要因と言われました。善い子とは 周りの大人にとって都合のよい子の呼称です。
善い子は自分の意思より 周囲の期待や価値観に応えることを優先します。
成長する中でいつの間にか自分を失っていくのです。
保育士の研修を担当していますが その方々の大多数が 善い人でなければならないという誤った信じ込みを持っています。
研修内容の一つに「~さん あなたはかけがえのない大事な方ですよ。ありのままでいいですよ。よく頑張ってきましたね」と伝えるプログラムを入れています。皆 大感激を受けます。
しかし「善い人であれ」を自分に課して 生きていくと周りからの評価を得 人生を勝ち取る大きな力になってきました。
このような 自分を縛りながら 一見人生を勝ち取ってきたかに見える厄介な信じ込み(一般的にドラィバーと呼ばれる)は氣づいても手放す(自由になる)のが困難です。
プロフィールで思春期の自分のささやかなレジスタンスぶりを紹介しました。
この頃の自分はむしろ偽悪者を目指していたのかもしれません。
虚無に目覚めた中学時代のある日から 毎日やり続けていた氣象観測もぴたりと止め、レギオン遍歴をはじめました。
授業は興味が持てないとボイコットに徹するのですが(教科担任に帰れと言われ 帰ると次回からは教室に入れないと宣告されました。クラス担任が平謝りに謝って 事なきを得たこともありました。)
試験をボイコットした時も クラス担任が自宅まで 車で迎えに来てくれました。
教科書持ち込みでいいから 追試を受けるよう言われましたが、授業が進めば そこまでの教科書は破り捨てていましたので 持ち込み用の教科書もありません。
その後はどうなったか記憶にないのですが退学届まで提出し、突き返された高校を 無事卒業してしまいました。
休み時間は職員室に入り浸りの 不思議な少女でした。教師たちには主に「生きる意味」を尋ね続けるのです。
ある理科の教師が 「命とはリトマス反応のようなものだよ」とそっけなく言い切りました。(今はわかる氣がします)
教師たちもニヒリストが多く逆に「死ぬ自由があるものとないものとどちらが幸せだと思うか?」「浦島太郎はなぜ老人になったと思うか?」などチンケナ質問をされてしまいました。
授業中はチョークを投げつける教師が自宅にまで招待してくれました。
理科室、図書室はフリーパス。図書室は高校生になってからもフリーパスでした。
こんな和多志は真面目か不真面目か決められますか?
意味を問う落とし穴は 無知の底なし沼、レギオンの墓場となりました。
善悪を区別してすっきりしようとする独善からようやく解放され続けています。