自然音痴
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
素晴らしい森がよみがえるには、まず自然が見えること、感じることができる人が必要。
しかし自然音痴の人が今増えているのが心配です。
C・W・ニコル : C.W .Nicol
ウェールズ生まれの小説家 ナチュラリスト 1940〜2020
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これは自然を蘇らせるためだけではなく、人間自身が健康であるためにも、事の成就を成し遂げるためにも、まず第一に大切なことですね。
自然を感じること、自然を知ることが現代はとてもおざなりになっています。
人間が創りだしたものが自然を超えていると考えてしまっている、そういう方向に誘導されてきた結果であると言えるでしょう。
人間がどんなものを作り出したとしても、根底は自然の上で、自然界の中で成り立っているものですから自然を超えることはできません。
どこまでも根源である自然を常に感じ、学びながら進んでいくことが、よりより環境や進化を実現していくことです。
それができなくっていることで人間の創り出すものが進歩しているように感じている中でも、自然の破壊はもちろんのこと人間界の病、争いが減ることもなく苦悩が多くなっている現状を生み出しています。
健康のことなどを考えてみても、人などの命のことを考えても明らかですが、自然も健康、命も失われる前にその原因、根源を感じて、あらかじめ先手を打って準備をしていくことが大事なことになりますね。
失われてしまってからでは、それを元に戻していくことはたいへんなことになります。
ぜひ夢を実現していくにも才能を開花させていくにも、何よりも大切なことが自然を感じること、自然を知ることだということを認識してください。
その上で技術的なことなどが活かされてきます。
このことに気づけるかどうかで、夢の実現の確度も速度も、才能、能力の開発のスケールも大きく違ってくることを実感していってください。
人間界のルールはローカルルールです。
まずは自然界の基本ルールを学ぶことですね。
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「身体」を忘れた日本人
JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES より
解剖学者・養老孟司氏と作家・冒険家のC・Wニコル氏が、都市生活によって衰えた日本人の身体をテーマに、子どもたちのこと、食べるということ、極地での気づきなどさまざまな問題に切り込んだ対談集。
養老孟司(著)C.W.ニコル(著)青山聖子(その他)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000827.000005875.html 【養老孟司氏/C・Wニコル氏による対談集 『「身体」を忘れた日本人』発売】より
株式会社インプレスホールディングス
インプレスグループで山岳・自然分野のメディア事業を手がける株式会社山と溪谷社(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長:関本彰大)は、8月21日に養老孟司氏/C・Wニコル氏による対談集『「身体」を忘れた日本人』を発売いたします。
都市生活によって衰えた日本人の「身体」
アレルギーになる子ども、災害時に火をおこすことが出来ない大人たち…便利になりすぎた都市生活によって、あまりに身体を使わない世の中になっていないだろうか。そして自然と触れる機会もなくなった現代人は、嗅覚、免疫といった身体機能も衰えている―。
そんな問題意識から、解剖学者・養老孟司氏と作家のC・Wニコル氏が、子どもたちのこと、食べるということ、極地での気づきなどさまざまな話題に切り込んだ対談集です。
養老孟司、C・Wニコル両氏が語る身体受難の時代を生き抜く術とは?
『バカの壁』『唯脳論』など多くの著作で知られる解剖学者・養老孟司氏と、長野県黒姫で森作りを続ける作家・冒険家のC・Wニコル氏。日本人の身体と日本の自然に深い見識を持つ両氏が語る、現代日本の問題点、これからの日本人の生き方とは?
<目次>
【1章 森と川と海のこと】
荒れた森を再生する/日本の杉は苦しがっている/馬に木を運ばせる/木の力、森の力/森と川、そして海のつながり/川は「流域」で考えよう
【2章 食べること、住まうこと】
田舎の力/都会の罠/虫は貴重なタンパク源だった/何でも食べられるのは「貴族」/木を生かす適材適所/原発事故のあとに残された難問/人間関係を保険で補償する時代/経済成長とはエネルギーを使うこと
【3章 子どもたちと教育のこと】
「ほったらかし」が一番/二人の子ども時代/母親の世界から飛び出せ/ゲームより実体験/自然が足りないと世界は半分になる/新しいエリートをつくる/体験を通すと生きた知識が身に付く/森で授業を/小さいときに触れるべきもの
【4章 虫のこと、動物のこと】
生き物の分類は分ける人によって変わる/ゾウムシは中央構造線を知っている?/オスは時々いればいい/ハチに刺されて死ぬのはなぜか/クモに名前をつける/いなくなった赤とんぼ/生き物は複雑なシステム/キリンの首はなぜ長い/熊との付き合い方
【5章 五感と意識のこと】
ハエも用心するクサヤのにおい/顔色をうかがうための進化/意識はコントロールできない/人が失った絶対音感/山の声が聞こえる/銃を撃つ前に逃げるカモ/夢と意識/時間と空間/「意識の時代」と「身体の時代」
【6章 聞くこと、話すこと】
英語を強制されたトラウマ/気持ちと結びつく日本語/訓読みは難しい/主語の有無は文化の違い/自我の目覚めが遅い日本人/日本語と感覚/片言の中国語/「暗いところ」がなくなった/言葉がなくなると存在もなくなる
【7章 これからの日本のこと】
子供も、大人も外で遊べ/若者に責任を持たせよ/日本人に覚悟はあるか/言い訳の多い日本人/もう一つ先を考える/人間は「状況の産物」である/日本人よ、自分を取り戻せ
<本書について>
【著者】養老孟司 C・Wニコル 【発売】2015年8月21日(金)
【定価】本体1300円+税 【ISBN】978-4-635-64002-2
【仕様】四六判 208ページ 【発行】株式会社山と溪谷社
http://www.amazon.co.jp/dp/4635640027/
<著者プロフィール>
養老孟司
1937年神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学名誉教授。1962年に東京大学医学部を卒業。1981年、東京大学医学部教授に就任。1995年に東京大学を退官。脳科学や人間の身体に関するテーマをはじめ、幅広い執筆活動を行う。主な著書に『バカの壁』(新潮社)、『唯脳論』(青土社)など。昆虫研究でも知られ、福島県須賀川市の科学館「ムシテックワールド」の館長を務める。
C・Wニコル
1940年英国ウェールズ生まれ。作家、環境保護活動家、探検家。カナダ水産調査局主任技官、エチオピア・シミエン山岳国立公園長などを歴任後、1980年長野県に居を定める。1986年、荒れ果てた里山を購入し『アファンの森』と名付け、森の再生活動を始める。2002年「一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」を設立し、理事長となる。著書に『勇魚』(文藝春秋)、『風を見た少年』(講談社)ほか多数。
【山と溪谷社】 http://www.yamakei.co.jp/
1930年創業。月刊誌『山と溪谷』を中心に、国内外で山岳・自然科学・アウトドア等の分野で出版活動を展開。さらに、自然、環境、エコロジー、ライフスタイルの分野で多くの出版物を展開しています。
【インプレスグループ】 http://impress.jp/
株式会社インプレスホールディングス(本社:東京都千代田区、代表取締役:関本彰大、証券コード:東証1部9479)を持株会社とするメディアグループ。「IT」「音楽」「デザイン」「山岳・自然」「モバイルサービス」を主要テーマに専門性の高いコンテンツ+サービスを提供するメディア事業を展開しています。
以上
https://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2008/02/post_869.html 【自然音痴】より
Asahiコラムに「風を見た少年」などの著作で知られるナチュラリストC・W ニコルさんが、こんな談話を載せています。「言葉から自然が失われている」というタイトルで、「木を見てその名を言えるだろうか」というものです。私のブログでは、なるべく星、草木、季節といった内容を子どもの話題に挟んで書くようにしていますが、人として生きていくうえで、自然と共生をしていく意識を持たないと、どんなにえらそうなことをいっても、その内容は自分のためだけから言っているようにしか聞こえません。
しかし、興味はあっても、自然のことを知るのはなかなか大変です。というのは、最近の生活は、特に東京では自然と共生していかなければ生きていけないということが少ないからです。ですから、たまに大雪が降ると困ってしまうのでしょう。ニコルさんの談話の中で、30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが語った言葉、「日本は「自然音痴」になってしまった」を紹介していますが、本当にそう思います。ニコルさんは、国公立大学の学生でも、10の木を指さして名前を言えれば優秀な方で、あなたはどうでしょうかと問いかけています。私は、もう少し言えますが、樹形を見たり、樹皮を見たり、木の葉を見たりしただけでその木の名前を言えるのは10種類くらいかもしれません。
木の名前だけでなく、星の名前も、花の名前も、鳥の名前も、魚の名前もせめて10種類くらい言えてほしいです。東大にストレートで合格した高校の頃の優秀な同級生と食事に行ったとき、水槽の中で泳いでいる「はまち」を見て、「鯉」が泳いでいるというのを聞いて、東大に入学するためには、ある部分に偏らないとだめなのかと思ったものでした。
ニコルさんの談話の最初にこう言っています。
「初めて私が日本の土を踏んだのは45年前、まだ22歳の時でした。日本の自然の美しさは衝撃的でしたね。しかし、その頃からどれほどの勢いで森や川が破壊されてきたことか。自然というものが人間の営みの根本であることを忘れ去り、目の前のビジネス、金もうけに突き進んでいく姿を悔しい思いで見続けてきました。」
アースという映画を含めて、確かに環境問題について論議することも必要でしょう。しかし、まず身近な自然について、関心を持ち、知ることも必要な気がします。園の近くを流れる神田川は、どう見ても川というものではありませんが、それでも鯉は泳ぐようになり、たまに鷺やかもめを見ることもあるくらい昔の姿に戻ってきています。ニコルさんが子どもの頃のテムズ川は腐って死んでいたそうですが、いまはサケが上り、ロンドン郊外までカワウソが戻ってきているそうです。なぜそれが実現したのかというと、大きなテムズ川を一度によくしようとしたのではなく、あちこちにできた約1万2千の小さなモニタースポットのチェックから事は始まったのです。そのように、どんな小さな川であっても、小さな林であっても、そこに目を向けることが大切であると訴えています。
小さな川、小さな林は、人間の体で言えばごく末端の細い血管ですが、その詰まりをていねいに調べ、それをきれいにしていくことで、体全体を流れる動脈が健康になっていくことにたとえています。
アースという映画で、壮大な自然を感じましたが、目を転じて、小さな自然にも関心を持って欲しいですね。
カテゴリー: 近頃思うこと 作成者: fujimori パーマリンク
6 THOUGHTS ON “自然音痴”
先生のブログを読ませていただいてから、自然の事が今までよりもたくさん色々な知識が増えました。とくに植物に関しては写真をアップされているので、とても勉強になっています。ありがとうございます。「はまち」を「鯉」と見間違えるように私も含め多くの若者はあまり自然について、基本的な名前を知らないと思います。やはり、子どもの時から植物でも魚でも基本的な知識が増えるような環境で保育していく必要があると感じました。アースのような壮大な自然もあれば、道端に咲いている花、虫のような小さな自然もありますが、大きさは関係なく自然は自然です。大小関係なく身近な物にも関心を持つのはとても大事な事だと思います。
Sasuke 2008年2月20日 07:44 より:
山登りを始めて20年近くなります。若い頃は全くのピークハンターでしたが、最近は頂上までの道中を楽しむようになりましたね。おかげで高山植物の名前にも少しは詳しくなってきました。コマクサ、ハクサンイチゲ、チングルマ、ニッコウキスゲ・・どの花も可憐な姿で私たち登山者の目を楽しませてくれます。しかし、静かだった山にも近年、開発の波が押し寄せ、徐々に原始の姿を失いつつあることは本当に残念です。山をただ歩くだけでなく、自然との共生についても考えてみようと思います。
yamaya49 2008年2月20日 21:07 より:
自然との共生のためにまず身近な自然に目を向けることは大切ですね。全体を考えるとき、部分をおろそかにするとおかしくなります。みんなが環境全体について論議し行動するのと、みんなが身の周りの環境に興味を持ち大切にするのとでは、同じようでも結果は少しずつ違ってくるんでしょう。自然も一つひとつ、子どもも1人ひとり、そんな風に考えていこうと思います。まずは木の名前を10種類からです。
あいやま 2008年2月20日 22:50 より:
私が勤務する園の近くに「公園」があります。江戸時代、将軍家の鷹狩の場であった名残で、一般人の入場を禁止する名前がついています。当園の見学者を案内してその公園内を歩いてみました。道の脇にある木々や草花にはな「名札」がついています。「ミズキ」とか「サワラ」などなど、木の名前がわかるようになっています。私は地方の出身者です。私の田舎はいわゆる「自然豊かな」地とされています。しかし残念なことに「この木は何の木?」と問われて答えられるのは「杉」「松」「桜」「梅」くらいのものでしょうか?むしろ現在住んでいる大都会のほうが「木の名札」によってその名前と実物を合致させることができ、木々を1種類ずつ覚えていく楽しみを味わうことができます。自然環境は意識的に護っていかないと人間の欲望の餌食に簡単になります。そして結果として人間は己が欲望で破壊した自然のしっぺ返しを喰らうことになります。
toshi2222 2008年2月21日 22:23 より:
私は木の名前は10種類も言えません。自然が豊かな地域に住んでいてもやはり自然と関わる機会や自然に興味を持てるような体験を通した活動をしていなければ近くにあっても遠い自然になってしまいますね。まさにそれは自然音痴ですね。「日本の自然の美しさは衝撃的でしたね」というニコルさんの言葉がありました。今のブログでの内容もそうですが、日本は自然のよさを感じ、共生してきたからこそ日本文化を形成していったのだということを知ると、自然を通した体験をもっと意識しなければいけないなと思います。そのような体験を通して自然と触れることで、興味もわき、環境を保護しなければという意識もうまれていくのかもしれません。知識で大切にしなければと知るのではなく、体験を通して感じることが大切ですね。
もりぐち 2016年1月29日 07:38 より:
大きな自然というものも、小さな自然の集まりである事を理解できましたし、その小さな自然に目を向けなければ、問題を改善する事が出来ないのですね。また、「共生」という意味にも、ただ同じ空間にある存在というよりも、互いに影響し関連し合っている様子でなくては、本当の「共生」ではないようにも思いました。自然の中に暮らしている人が、植物の名前を把握しているかはわかりません。自然が少なくても、自然に興味を持つ事で、名前を始め、その物の生態等を知りたいと思って多くを把握しているなんてこともあるかと思います。自然音痴を妨げるには、自然の中で生活させるということだけでなく、自然好きを育てる工夫が必要なのだと感じました。
k.taka 2016年2月17日 22:47 より: