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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱48-義和団の乱勃発

2023.07.06 11:32

1899~1900年にかけて中国で「義和団の乱」が発生した。渤海沿岸では列強の租借地が拡大してキリスト教も布教され、現地との軋轢が拡大していた。山東省では民間信仰と伝統武術が結合した「義和拳」がブームになった、義和拳を極めれば、西洋の銃弾も跳ね返すと信じられた。

義和拳をする義和団は、キリスト教施設や改宗民を排撃したが、地方政府は黙認、列強の要求で袁世凱が派遣されて鎮圧されたが、義和団は列強植民への不満によって大勢力となっており、「滅洋扶清」を旗印に20万人の大軍となって北京に進撃して入城してしまった。

この義和団に対し、何と権力者の西太后はOKを出して1900年6月21日、列強に宣戦布告をした。彼女は「中国の積弱はすでに極まり。恃むところはただ人心のみ」と述べたといわれる。清国は在中公使に退去を命じ、洋人一人を殺せば銀50両を与えるとした。西洋人やキリスト教徒は公邸街に立てこもる。

天津の列強軍は北京に進軍しようとしたが、清軍と義和団に押し戻されてしまう。このとき日本はイギリスに兵を送れると伝え、八カ国連合軍が組織される。連合軍で最大兵力は2万2千人の日本であり、それに次ぐのが1万2千人のロシアだった。連合軍は8月14日に北京に到達した。