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行雲流水

2023.07.07 07:26

Facebook新田 修功さん投稿記事

行く雲のように、流れる水のように……🙏🤗

読書セラピー「賢者の一言」  出口日出麿

「思いついた時に、思いついたことをすれば、心にかかる雲がなくて、どんな境遇にあっても余裕がある」

「生きがいの確信」 天声社

………………………………✨✨✨

私たちは、すぐに頭で考えを巡らせてしまいます😂

直感で、思いついた時にすぐに行動を移せば、サラサラと水が流れるようにことが運びます。

思考がその流れを堰き止めてしまうんですね😭

「あの人に電話しよう」☎️、と閃いたのに、「まてよ、仕事中で忙しいだろうからお昼休みにかけようか」……🤔

そして、お昼休みに電話すると、その人は早めにお昼を済ませて出張に出かけてしまったりするのです😭

その人と会うことで、とても素敵な時間が持てたり、将来につながる良いチャンスをくれたりしたかもしれません。

私たちは、こうして素晴らしい機会を逃してしまうんです😱💦

そして、「あの時電話していればよかったのに……」なんて後悔します😭

やってきた直感の流れを堰き止めないで、間違っても、失敗してもいいから、思いついたら即行動です🏃‍♀️💨

行雲流水、素直に無邪気にサラサラと、人生を楽しみましょう🤗💕🎶

今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕


http://www.jyofukuji.com/10zengo/2006/04.htm 【行雲流水】より

雲は悠然として浮かび、しかもとどまることなく、水はまた絶えることなくさらさらとして流れて、また一処にとどまることがない。

この無心にして無碍自在のありようが禅の修行にもあい通じることから、この語を禅者は好んで用いた。今も禅の修行僧を「雲水(うんすい) 」と云うのも雲が悠々と大空を行く如く、また流れる水の如く一処にとどまらず師をたずね修行の行脚したことから名づけられたことばである。

 「行雲流水」は自然現象である。空を行く雲、川を流れる水は一時も同じ状態ではない。雲の表情は一瞬一瞬ごとに変わり、湧きては消え、消えてはまた生ずであり、また流れる水も常に変化して様々な表情があるように、この行雲流水の語は世の無常を表わした語でもある。

それはそのままわれわれの人生にも通じることである。

雲にはやさしい風ばかりではない。吹きちぎり吹き飛ばす風もある。水の流れにも瀬があり曲がりくねる淵があり一様な流ればかりではない。長い人生もまた然りである。

人生、順風満帆ばかりなんてありえない。どんなに障害があり、喜怒哀楽様々な出来事の連続の中にあっても、常に心はその一処にとどまらず、執着せず、雲の如く無心にして淡々と、さわやかに生きるところにこの「行雲流水」の語が生きる。余談であるが、墨染めの衣にわらじ

履き、網代笠を被った雲水の姿が自然の風光の中にあれば、ひとつの風景画に見えるかもしれない。だが、雲水である当人は如何がな心境であろうか。

 実は私も曾っては雲水として一人、托鉢行脚で放浪しまた四国八十八ケ所霊場を廻ったことがある。

悠々などといった心境でいられることはなかった。

 門づけの行乞では目障りとばかりに冷たく追い立てられることもある。今夜の泊まるところのないのはたまらく侘しかった。孤独感もつのる。

行脚には晴ればかりではない。雨の日、風の日も多い。そして厳冬の中、雪道を泣きべそをかきたいような行脚は辛かった。だが、また逆に、多くの人々のご接待があり、真心から親切をうけた。いまではそのどれも懐かしく楽しい思い出であり人生の宝になっている。今思う「行雲流水」とはそんな人生におきる雨風、嵐どんな苦楽も嫌悪、取捨せず、ありのままに受け入れて人生の肥やしとしていくおおらかな心ではなかろうか。


https://www.youtube.com/watch?v=z8mfKm7JGgA

https://www.youtube.com/watch?v=CpqFQM5NQeE

https://www.youtube.com/watch?v=V8FxcBC2ZMw

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%8F%A3%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%BA%BF 【出口日出麿】より

出口 日出麿(でぐち ひでまる、1897年12月28日 - 1991年12月25日)は、大本教の第三代教主補。

来歴・人物

岡山県倉敷市阿智町に高見元男として生まれる。1924年京都帝国大学文学部中退。1928年第三代教主となる出口直日と結婚。大本総統補、昭和青年会総裁補、人類愛善新聞社社長など大本の要職につき出口王仁三郎の後継と目される。1936年第二次大本事件で起訴されるが病気のため公判停止。1990年直日の死により尊師の称号を得て四代教主出口聖子(娘)の後見となる。「かつらぎぼたえもん」の筆名を持つ。

1991年12月25日死去。93歳没。