東京 (17/01/23) 江戸城 (41) 坂道巡り (9) 港区 (4)
港区
- 神明坂
- 元神明宮 天祖神社
- 志ほあみ地蔵
- 龍原寺
- 綱の手引坂
- 綱町三井倶楽部本館
- 綱坂
- イタリア大使館
- オーストラリア大使館
- 日向坂
ビール坂 (恵比寿)
港区坂道 訪問ログ
港区
神明坂
この坂の下側にある天祖神社を元神明というとろから神明坂と呼んだそうだ。馬場坂という説もあるが、この後訪れる綱の手引坂との混同があったと推測されている。
元神明宮 天祖神社
神明坂を登り始めると天照大御神を祀る天祖神社がある。1005年 (寛弘2年) に一条天皇の勅命により創建されたと伝わる。渡辺綱の産土神であったことから、多くの武人に崇敬されていた。芝大神宮 (芝大門) がこの天祖神社から移転したというので、元の神宮という事で元神明宮とも呼ばれている。東に隣接してあった筑後久留米藩藩邸上屋敷の有馬氏を始め、広く衆庶の崇敬を集めたという。関東大震災や東京大空襲等の災厄から氏子・崇敬者を守ったとされ、厄除けの神としても崇敬されている。相殿の水天宮は、1818年 (文政元年) 有馬家藩邸の邸内社として、筑後久留米の水天宮から分祀されたもので、安産の神、水の神とされていた。1868年 (明治元年) に有馬邸が青山に移転するに際して、その分霊を相殿として奉斎している。かつ前述の水天宮も分祀されている。現在の社殿は旧御社殿の老朽化に伴い、平成6年に建て替えられたもの。
境内は狭いのだが、境内末社は多くあり、いずれも穀物の神である宇迦之御魂神を祭神とする稲荷神社。平河稲荷神社 (左下)、豊日稲荷神社、和光稲荷神社、天白稲荷神社 (左中)、槻根稲荷神社、権太夫稲荷神社 (右上)、白滝稲荷神社 (銀杏稲荷神社)
志ほあみ地蔵
神明坂を登り上の方、道脇に志ほあみ地蔵尊がある。子育てと延命にご利益があるそうだ。お参りが絶えないのだろう、堂内は綺麗にされており、沢山の千羽鶴が釣られている。
龍原寺
志ほあみ地蔵の奥には龍原寺がある。浄土宗智恩院末派永昌山稱名院龍原寺は、僧路廓が開山となり、1621年 (元和7年) に八丁堀に創建し、1665年 (寛文5年) にこの地へ移転してきた。本堂 (写真右上) は江戸後期の1846年建造の土蔵造りになっており、向拝天井に竜の鏝絵 (右中) が施されている。鐘楼 (右下) は江戸後期の1824年の建造。このほか、庫裏 (左下) は19世紀中期の建造。
綱町三井倶楽部本館、日向佐土原藩島津家上屋敷跡
神明坂を登りきると綱町三井倶楽部本館がある。江戸時代には日向佐土原藩の島津氏の上屋敷が置かれていた場所になる。この建物は大正2年に英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により建設されたもので、明治・大正期を代表する西洋建築の傑作の一つ。終戦後、一時米軍による接収の時期を経て、昭和28年に三井グループ各社の共同利用施設、綱町三井倶楽部として、会員各社の賓客接待や、結婚式等に利用されるようになっている。
館内には予約をした利用者しか入れないので、内覧は出来ない。インターネットで案内されているものを見ると豪華な内装になっている。
綱の手引坂
三井倶楽部本館の前の道は東へは下り坂になっている。この坂を綱の手引坂という。
平安時代に羅生門の鬼退治で有名な勇士源頼光の四天王の一人の渡辺綱 (わたなべのつな) が、この付近に住んでいた。渡辺綱が幼少期に姥に手を引かれて行き来したいう逸話から綱の手引坂と名付けられた。また、姥坂とも馬場坂とも呼ばれていたそうだ。
綱坂
綱の手引坂をもう一度登り、三井倶楽部本館まで戻り、三井倶楽部本館東側の下り坂を見る。これが先程通った綱の手引坂で登場した渡辺綱が生まれた場所という。それで綱坂と呼ばれるようになった。また、三田綱坂、渡辺坂とも呼ばれる。この付近はかつて三田綱町とも呼ばれていた。
この坂の古写真が残っている。坂の右側に島原藩松平主税頭の中屋敷、左側に会津藩松平肥後守の下屋敷、坂の上方右側に伊予松山藩松平隠岐守の中屋敷、左側に佐土原藩島津淡路守の上屋敷があり、坂の上には綱の手引き坂と久留米藩有馬中務大輔の上屋敷があった。
イタリア大使館、陸奥会津藩松平家の下屋敷跡
坂の西側には綱町三井倶楽部とその南にイタリア大使館がある。陸奥会津藩松平家の下屋敷があった場所になる。正義邸のち十五銀行)がある。
オーストラリア大使館
綱坂を登り綱町三井倶楽部まで戻り、道を西側に進む。三井倶楽部本館の隣はオーストラリア大使館になっている。建物の屋根にはカンガルーとエミューのオブジェが置かれてオーストラリア色を出している。江戸時代には綱町三井倶楽部と同じく、日向佐土原藩島津家上屋敷だった所。
日向坂
オーストラリア大使館の所から道は下り坂になる。坂の名は日向坂。日向佐土原藩島津家上屋敷の前の道だったからかと思っていたら、日向佐土原藩島津家上屋敷の隣の坂の下側にあった徳山藩毛利日向守の屋敷があったからだそうだ。その後、丹波柏原藩織田家に上屋敷になり、明治時代に入ると蜂須賀邸となっていた。この坂は、由来は不明だが振袖坂とも呼ばれていた。
今夜は前職の元部下達と会食が予定されているので、そろそろ待ち合わせ場所の新宿に向かう事とする。
ビール坂
新宿に向かう途中、恵比寿で、ビール坂と呼ばれる坂を通った。坂の上にサッポロビール本社がある。1887年 (明治20年) に日本麦酒醸造 (現サッポロビール株式会社) がこの地で開業し、「恵比寿ビール」を製造販売した。
この工場で製造したビールを運ぶために馬車で運搬した坂がこの「ビール坂」になる。商店街になっており、ビールジョッキの街頭が面白い。
新宿に着くとどっぷり日も暮れている。都庁には緑のライトアップ。都庁では何かイベントがあると緑でライトアップしている。今回は日本での都市公園制度の下、最初の都立公園となった上野公園と芝公園が開園して150周年を祝ってのライトアップだそうだ。