自然から遠ざかるほど、いのちが減っていく
Facebook本間真二郎さん投稿記事
ダイヤモンド・オンラインに私の記事が載りました。
https://diamond.jp/articles/-/242804
テーマは『「コロナ第2波は『2つの軸』で身を守る」ウイルス学専門の本間真二郎医師に聞く』になります。
内容は、・ウイズコロナ時代の生き方とは・免疫系の2系統を理解する
・『自己の軸』対策を忘れずに・ 完全終息は見込めない、だから生活を変える
などになります。
少し内容を補足します。感染症対策には2つの軸があります。
①感染しないこと 手洗い、マスク、薬、ワクチンなど
②感染しても大丈夫になること 自然治癒力(免疫力、抵抗力、解毒力など)を高めること
私は、①を自分の外へのアプローチ=他者軸②を自分の内へのアプローチ=自己軸と説明しています。もちろん、どちらも大切なのです。
しかし、現代は、ほとんどの人(行政、専門家、医師、メディア、一般の人も含めて)の視点が他者軸に一方的に偏っています。
そこで、私は自己軸も大切であることを強調しているのです。そして、本当はそちら側が感染症やあらゆる病気に対する本質であるということです。
他者軸が意味がないとか必要ないということではもちろんありません。
免疫系にも以下の2つの軸があります。
①自然免疫系 ②獲得免疫系 もちろん、これらのどちらもが大切です。
自然免疫系は自然に備わっている免疫力で、まずはあるゆる感染源に最初に対処しながら、獲得免疫系に情報を提供します。獲得免疫系は自然免疫系だけでは対処できない場合に出動し、より強力に働きます。
無症状者や一部の軽症者は主に自然免疫系だけで治っていると思われます。軽症者は獲得免疫系の発動により速やかに回復します。重症者も獲得免疫系が働くことで多くが回復しますが、一部免疫系が暴走すると重篤になったり、死に至ると考えられます。
つまりCOVID-19の重症化には獲得免疫系が関与しており、感染しても免疫系(自然免疫、獲得免疫の両方)が適切に働き、暴走しなければ怖くない病気なのです。
この免疫反応が適切に働くためのスイッチやつまみ(反応の開始や程度)は、コロナウイルス側(他者軸)ではなく自分の内側(自己軸)の問題ですね。
つまり、獲得免疫系の暴走を防ぐためには他者軸の対策(手洗い、マスク、薬、ワクチンなど)をどんなにしても有効ではなく(むしろ弊害となりうる)、自己軸を整えるしかありません。そこで、私は自己軸の対策を強調しているということになります。
詳しくは、これまでに書いた記事を参照してください。
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/2728645230793812
私の新刊「感染を恐れない暮らし方」も発売中です^^
どうぞよろしくお願いいたします。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
新型コロナ・ウィルスに感染しても治癒力の違いで一人一人の結果は異なります。
人は自然免疫によってウィルスの増殖を防いでいます。治癒力のある人は養生すれば自然に治ります。治癒力がない人は病院の治療を受けても死亡します。
病院に入院して薬や注射などの手厚い治療をほどこしても死亡してしまうのは、患者の免疫システムがウイルスを撃退できるまでひたすら待つしかないからです。
誰でも治癒力は生まれつき備わっています。生きているということは治癒力を持っているのです。結局、本来持っている治癒力を下げるような不健康な生活を見直して治癒力を高めるしかないのです。
精白した穀物と砂糖をやめて 雑穀ご飯と味噌汁を食べて 生命力がある発酵食品と
安全で新鮮な食材を食べ 身体をよく動かして血行を良くして 体温を上げましょう。
怖がると免疫力が下がります。よく笑うと脳の血流が良くなります。愛は免疫力を強くします。まわりの人に愛を与え愛を受け取ることで心の免疫力が強くなります。
健康な暮らし方 健康な関係性 健康な社会の在り方に変える時期にきています。
今のところ岩手は新型コロナ・ウィルスの感染者が出ていません。
今日は自分の畑で無農薬、無肥料で栽培している米と野菜を食材にしているやえはた自然農園内の「カフェそら」でランチをしました。
ランチを出すきっかけが清水友邦と寺山心一翁先生とのコラボのワークショップと聞いてうれしくなりました。
メニュー
大豆のベジハンバーグ 手作り納豆下ろし和え ソースは手作り醤油
間引きニンジンと葉っぱのかき揚げ 古代小麦(スペルト小麦)の全粒粉
無肥料無農薬栽培のきゅうりとニンジンの糠漬け
無肥料無農薬の大根の葉っぱのふりかけ 大根の皮の金平 ひじきと無農薬大豆の煮物
瀬戸内海の祝島で引き潮のときに採って薪火で柔らかく鉄釜で炊きあげ、潮風に当てて乾燥させたひじき。
ふろふき大根 手作り味噌あえ
自家製無肥料無農薬栽培の酵素玄米 銘柄「ささしぐれ」
春物野菜の味噌汁
ほとんどの食材が自分の畑で採れた自家製無肥料無農薬栽培の野菜です。
Facebook岡本 よりたかさん投稿記事
「命の選別」
大西つねき氏の動画を観て、どう表現したら良いのか、しばし言葉を失った。
僕は世捨て人ではない。だから、生死にも無関心ではない。
母が緩和ケアに入った時、医師から延命措置をするかと訊かれた。
母に相談する勇気はなく、「しません」と答えた。
先に死にゆく母を病院のベッドに縛りつけ、チューブを繋ぎ、胃ろうをしながら生きながらえさせる。
延命措置をしていた叔母の状態を見ていたから、僕は断った。本人も家族も辛そうだった。
叔母の介護をする従兄弟の話を聞いていたことが、延命措置を断った最大の理由だったのかもしれない。
多くの時間を奪われていく。それが不幸がどうかは別にして。
母が意識を失っていく中、父はポツンと言った。「延命措置なぁ…」そこで言葉を止めた。
したくないと言いたかったのか、した方がいいかなと言いたかったのか。
僕はしないと決めていたから、その瞬間、胸を掻き毟られる感覚だった。目頭が熱くなった。
今は、死に向き合うことが少ない。気がつけば、葬儀の連絡だけが来る。
いつも他人事で、自分が死ぬことを受け入れていない。
そんな世の中であれば、延命措置をすることで多くの若い人の時間が奪われていく、と言う主張は理解できる。
しかし、自分が死ぬより他人が死ぬことを望むことは命の選別ではなかろうか。
動物を食べることは、命の選別ではないのだろうか。
僕とて、母の死に関して、命の選別をしたことになる。今の医療の延期措置を拒否したのだから。
つまり、誰もが無意識に命の選別をしているのである。
僕は、命の選別を不自然なものにしてしまったのは、今の経済社会だと思っている。
他人より抜きん出ることが善であり、競争に負けることが悪である経済社会。
だからこそ、経済社会の申し子のような大西つねき氏が、命の選別について語ることに、違和感があったのかもしれない。
その昔、人は多くの命を育て、そしてその命を絶ち、生きながらえてきた。
先祖は今の自分を世に産むための存在であったし、延命措置など考える必要もなかった。
そこには経済社会は存在しない。
権力も政治もない。
あるのは、家族という社会であった。
命の選別は、同じ命のラインに並ぶ子孫、そして家族の問題だけであるべきなのだろう。