優しさの金額、知識の金額
(角の生え方がおかしいのは解ってる)
「日本人が世界でこんな風に評価されてる」系の番組がよく放送されていますが、
その中での「日本人は優しい国民性」などの自画自賛、果たして本当なのか? と大いに疑問があるのは、
<日本人の年間寄付額は、先進国の中でもドベレベル>
だということを聞いたからです。
社会保障のシステムの違いもあるでしょうが、
そうは言っても、一世帯当たりの寄付額がアメリカの100分の1以下だとか。
まぁ、そもそも『優しい国民性』『冷たい国民性』ってカテゴライズ自体がイミフ〜(´ - ` )なわけですが。
みんな、クラスに嫌いなヤツが居ただろーに。もちろん日本人で。
私はめっちゃいましたともさ。(暴言)
*
なんて、エラそうな画像とともにエラそうな書き出しをしましたが、
私自身、寄付だの募金だのということを考えるようになったのは、この2、3年の話です。
何度も書いてますが、この2、3年で私は人生の大掃除をいたしまして、
その結果、見切られた不要品が大量に発生しました。
で、捨てれば、捨てて空いたところに新しい良いものが入ってくるという法則があるけれど、
エコ好きの私は、ゴミを出すのがイヤで、だったら売ればよくね? と考えました。
しかし、一説によると、売ると小銭が入ってきて、それ以上のものは入ってこないという。
だったら、そのあぶく銭を寄付に回せばいいんじゃないの!という
非常にがめつい理由
で募金・寄付に興味を持って今に至っているわけです。
詳細は漫画の方を読んでもらえると嬉しい。
募金・寄付の話になると、時折耳にするのが『やらぬ善より、やる偽善』というこれまたイミフ〜な言葉です。
『やらぬ善』なんて存在しないがな、と思うのですが。
でも、そんな意味不明な言葉が横行するほどに、日本では、募金・寄付という考え方が日常に根付いていないのでしょう。
背景に、宗教や社会システムの違いがあるのかもしれません。
この辺の理由は、私が適当な分析を述べるより、専門家の意見をググって読んでいただくのがいいと思います。
しかし、とにかくこの、『募金・寄付』の話は、赤い羽根レベルで留まらず、
もっと中学校や高校でもすべきではないかと思います。
募金はいいことなんだよ~なんていう、ふんわりした善意のごり押しではなく、
どのようにお金が巡っていくのか、
他国の例はどうなのか、
国がどういう支援制度を持っているのか、を。
私は上記、『がめつい理由』によって寄付に手を出しましたが、
そうして何でも「関係」してみると、多少なりとも詳しくなってくるもの。
『寄付金控除』なる制度が存在し、認定NPOや公益財団法人等への寄付した分の一部は、
『確定申告』によって、返ってくることが解りました。
実際、昨年は、(控除対象団体への)総寄付額の3分の1が返ってきたのです。
確定申告自体も、webで出来ちゃいますから、いざやってみると、全然難しくなかったですしね。
募金や寄付は、優しい人や、意識が高い人がやっているのではなく、
単に、『情報を手に入れられた人』が行っているんだと思います。
家計簿はつけないくせに(つけろよ)(いや、挫折したんよ)、
不要品を売った収入、そこからの支出といった出納帳はきちんと付けています。
正直、趣味の域に入ってきてると思います。
でもそれは善意じゃないですよね。
自分でも、支援した活動に、もっと深く関心を持つべきだ、と自戒することもあります。
けれど、とりあえず、今はこれで良いのかも、とも思います。
何より、関わらないことには、何も始まらないし、知ることもないのだから、と。
余談ですが、NHKには、一人暮らしを初めて間もない、まだテレビも無いときに、
「ガラケーでしょ? ワンセグ行けるでしょ?」
ってのを理由に、受信料とられ始めてから、軽く憎しみL(゚皿゚メ)」を覚えていたのですが、
今回、諸事情でさらに結ばされていた『衛星契約』を、受信環境取っ払ったことで、『地上契約』に戻すように交渉したところ、割とすんなり変えてくれたので、彼らの心象マイナスポイントが少々回復しておりました。
もっとあくどいゴネ方されると思ってたわ。
しかし、そうは言いましても、実家でも、東京でも見る番組はほとんどNHK、というのが実情でして、それをさらに決定づけたのが、今回の豪雨水害報道でした。
民放は一体、何の仕事をしてるんだろう……。
被災者のプライベートを取り上げるNHKの報道の内容にも疑問が無いわけではなかったけれど、それでもNHK以外、ほぼマル無視の状況には、さすがに憤りを覚えました。
優しい国民性とか、冷たいとか、そういった根拠も客観性も無い、一方的な印象でしか作られていない、しょうもない情報を発信するヒマがあるなら、誰が何をしたら良いのか、行動をとりやすい情報を発信してほしい。
災害発生時の募金が、学校の赤い羽根くらいの人も多数いると思います。
それは決して『冷たい』からではなく、そもそも日本がそういう世界だから。
私も、このレベルの報道で、今まで通りの意識だったら、今回の災害、「チャリーン」くらいの募金しかしていなかったでしょう。
優しさや冷たさが金額を決めるのではない。
情報と知識に決められてきたのだ、と。
それはこの2、3年で私がようやく解ったことです。