自分の中の相反する性質を受け入れる
Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。
汗ばむ季節になりましたが、皆様お元気にお過ごしでしょうか?
私は久しぶりの通常の夏が待ち遠しく、日々ワクワク過ごしています。
さて、先月アニメの「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編」の放送が終了しましたね。
「鬼滅の刃」のアニメはいつも質が大変高く、その出来に感動しながら観ている私です。
「柱稽古編」のアニメ化も早速発表され、まだまだ楽しみですね。
今日は「刀鍛冶の里編」描かれていた
「霞柱 時透無一郎」のエピソードについて書きたいと思います。
(ネタバレあり。また筆者は敢えて原作漫画を読まずにアニメを満喫すると決めているので、アニメで描かれているストーリーや設定しか認識していませんのでご了承下さい。)
「もう一人」
飛び抜けた才能で若くして鬼殺隊の「柱」、
つまり「幹部」になった「無一郎」ですが、
最初は感情を見せず、共感せず、合理的な判断の下、
時として弱者を切り捨てるキャラクターとして登場します。
そして、どうやら「無一郎」は記憶喪失であることがわかります。
しかし闘いの中で、彼は記憶を取り戻し、
かつて双子の兄「有一郎」がいたことを思い出します。
両親が早く亡くなり、
子供ながら兄と二人で何とか暮らしていた「有一郎」と「無一郎」。
そして、今は感情を見せない「無一郎」が
かつては優しく、笑顔が溢れる闊達な少年であったことがわかります。
一方兄の「有一郎」は早く亡くなった両親を憎み、
「無一郎」に厳しく当ります。
「人を助けよう」と話す「無一郎」に対し、
「有一郎」は
「人を助けるなんてことはな、選ばれた人間にしか出来ないんだ!」
「教えてやろうか、俺たちに出来ること。犬死にと無駄死にだよ!」
と激しく怒りをぶつけます。
それを機に兄弟はほとんど会話をしなくなるのです。
しかし、ある日二人の住む粗末な庵に「鬼」が現れます。
「無一郎」に「鬼」が襲いかかった刹那、
兄の「有一郎」が間に入って弟をかばい、
重傷を負ってしまいます。
弟の「無一郎」が手を握る中、兄の「有一郎」は
「神様、仏様、どうか弟だけは助けて下さい」
と繰り返しつぶやきながら亡くなってしまいます。
「映し身」
「有一郎」と「無一郎」の兄弟は1人の人間の中に共存する
相反する素質を表現しているという見方が出来ると私は感じました。
「有一郎」は現実主義で「生き残る」という目的にシビアに取り組んでいました。
しかし、時として厳しく、冷たくなってしまいます。
「無一郎」は生きる意味を考え、他者への共感や助け合いを大事にしていました。
しかし、時としては甘く、脳天気になってしまいます。
ルミナ・スパークで考える「相反する性質」
「ルミナ・スパーク」では相反する性質が共存するという前提で、
24の指標(クオリティー)で人の嗜好性・性質を計っています。
(「ルミナ・スパーク」についてはこちらを参照)。
その「ルミナ・スパーク」では、
例えば以下のような2つのクオリティーが設定されています。
「受容力」(調和のために努力し、対立が乗したときは自分の考えを変えることも厭わない)
「タフ」(力強く議論し、衝突も厭わない)
これら2つは相反するものとして位置づけられていますが、
測定すると、私を含む多くの人がこれらを両方併せ持っています。
そして、両方を適度に発揮し、上手く使うことで自分の強みにすることが出来ます。
しかし、これらのクオリティーは「行き過ぎた」状態、つまり、
不適切に使いすぎると弱みになります。
「受容力」が行き過ぎると「ノーと言えない」状態になる
「タフ」が行き過ぎると「衝突を求める」状態になる
こうなると周囲との関係性に支障を来たす可能性があります。
幼少期の「有一郎」と「無一郎」は性質がそれぞれ「行き過ぎて」いて、
お互いに折り合いがつかなかったように感じます。
アニメでは2人の人物として描かれていますが、
このような葛藤は1人の人間の中でも生まれるのではないでしょうか?
「自分は何者か」
「無一郎」は「有一郎」を亡くした後、記憶喪失になってしまいます。
ショックで一種の「アパシー(無気力・無関心)」になってしまったのではないかと思います。
そして鬼を斃し、罰することで自分を保っている。
私は「ルミナ・スパーク」を通じて
多くの方の内面に触れる機会が多いですが、
相反する性質がそれぞれ「行き過ぎる」ことを恐れ、
どちらも選ばずに心理的に固まってしまっている方に多く会います。
そして「鬼」ではなく、
「自分自身」を心理的に罰している方にも多く会います。
しかし、これは大変もったいない。
せっかく持っている性質を使えていないですし、
自分自身に過大なストレスをかけるからです。
記憶を取り戻した「無一郎」は
元の朗らかな人物に戻るのかと思いましたが、
そうはなりませんでした。
最終的には、冷徹さを備えながら弱者も守り、
感情を見せる人物に昇華します。
そして、強大な力を発揮して「上弦の鬼」を斃すのです。
「確固たる自分、があれば両の足を力一杯踏ん張れる。
自分が何者なのかがわかれば迷いも戸惑いも焦燥も消え失せ
振り下ろされる刀から逃れられる鬼はいない。」
記憶を取り戻した「無一郎」の言葉です。
相反する性質を受け入れ、自分のものとし、適切に使うと大きな力を発揮できる。
私達も自分の中にいる「有一郎」と「無一郎」の
折り合いをつけながら生きていきたいですね。