「蓮の花」のお話
Facebook相田 公弘さん投稿記事
「蓮の花」のお話です。
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蓮の花というのは大変に霊格が高いものであるらしいのです。
私自身、蓮の花に興味があって10年ほど観察を続けていますが、蓮の花は泥水が濃ければ濃いほど、つまり汚れていればいるほど大輪の花として咲きます。
水が真水に近ければ近いほど、きれいであればあるほど、蓮の花は小さくしか咲かないように思います。
つまり、人間の苦しみ・苦悩・煩悩という泥水によって、蓮の花(これは悟りのことなのでしょうが、大きな悟り)が得られるということを示しているのに違いありません。
蓮の花は、それゆえに泥水の中から立ち上がってくる。
その花を見て、人々は勇気づけられ、力を得るのです。
そのために蓮の花は存在しているのかもしれません。
人を勇気づけ、どろどろ、ぐちゃぐちゃになった状態でもいい、そこから立ち上がってくること、その悩み苦しみ・苦悩・煩悩が濃ければ濃いほど、泥水が濃ければ濃いほど、美しく大きな花を咲かせるということを宇宙は示したいのかもしれないのです。
生きる大事 死ぬ大事 小林正観 著 イースト・プレス
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蓮の花は、水が汚れているほど美しく大きな花を咲かせる。
人間も、苦労を重ねてきた人や、中々報われない人、もがいて苦しんでいる人、大きな悲しみを背負った人などがやがて、大輪の花を咲かせているのではないでしょうか。
キレイな水、つまりキレイな環境で何不自由なく育ててもらって、障がいや苦労を親が取り除いて育ったとして、その花が力強く咲くとは思えません。
親や上司の役目は、困難や障がいに挑む勇気づけをすることです。
“相田みつを”さんの「いのちの根」という詩をご紹介させていただきます。
「なみだをこらえて かなしみにたえるとき ぐちをいわずに くるしみにたえるとき
いいわけをしないで だまって批判にたえるとき いかりをおさえて じっと屈辱にたえるとき あなたの眼のいろが ふかくなり いのちの根が ふかくなる」
そうやって人は成長していくのでしょう。
今が泥水の中だと思うのであれば、それはまさに成長に欠かせないものに触れているということです。
大輪の花を咲かせ、いのちの根がふかくなるときですね♪
※魂が震える話より❗
Facebook清水 友邦さん投稿記事
生きていると、必ず絶望の縁に立たされる事が起きます。
その時に自分と直面しないで目を背けて逃げるか、それともしっかり自分を見つめるかで、人生の質が変わって来ます。
心配や不安が起きてくる状況は誰でも避けたいと思います。
不安定な状況が近づくとマインドは、瞬時に思考で蓋をして内側の感情を感じないようにしてしまいます。自我は機械的に反応して避けようとするのです。
弱い自我では、はじき飛ばされてしまう恐怖があります。
恐ろしい状態にならないように自我を強化して、鎧をまとって弱みを見せない生き方をします。
一見強そうに見える人が脆かったり弱かったりします。
弱さを隠そうとして強い自我を演じていることがあるのです。
内側での欲求が満たされないと、自我は代理の欲求で外側を満たそうとします。
しかし、本当の欲求でないと解消しないので、代理欲求はどんどん増幅を続けるという特徴があります。
現代社会の代理欲求は、社会的な名誉や地位であったりお金や物に対する欲望であったりします。
しかし、社会的な地位や名誉を築いたり金持ちになったからといって、満足できるとは限りません。
最近、年商100億超のIT起業家だった人物が、突然インドで出家して話題になりました。
お金があっても満足できなかったのです。
自我は本当の欲求を、お金で買える「快楽」にすり替えます。
自分が本当は何をしたいのか気がつかないと、欲望はかぎりないので、快楽に囚われて、偽りの欲求を続ける人生で終わってしまいます。
また地球の資源は有限なので、いたずらに使い捨ての消費を続けてしまえば、資源が枯渇して環境が崩壊してしまうでしょう。
現代はピラミッド型の競争社会なので、組織の一部分として機能することを社会は要求します。
何の疑問ももたずに部品として、機械の歯車として社会に適応しようとしますが、人間は部品ではないので自分がしたくないことをしていると、心の状態が不安定になります。
心に悩みをかかえた状態、心が不安定な状況というのは自分を大きく変えなくてはいけない事態になっています。
自分はこういう人間だという自己イメージが崩壊しつつあるのです。
「いやだ。受け入れたくない。変わりたくない。」と言っても今までの古いパターンの自分ではもうやっていけないのですから、いやでも変わらざるをえません。
古い自我から新しい自我への実存的変容が起きているのです。
変化(change)と変容(transformation)は違います。
変化(change)は同じ次元を水平移動するだけですが変容(transformation)は垂直に次元上昇することです。
実存的変容が起きると、頭の中で直面したくないと思っても、今までの存在を否定する恐怖が浮上して来ます。
今まで自分だと思っていた自分は偽りの自分だったからです。
自我は自分の死に恐怖して怯えます。
自我は不安から逃げるために、映画を見たり、酒を飲んだり、友達と長電話したり、スケジュールを埋め尽くして仕事に没頭したり、スポーツをしたり、ショッピングをしたり、ケーキやチョコを食べたり、一時的に蓋をして葛藤をさけようとします。
しかし、それはあとまわしにすることになりますから、避けても最終的には自分自身の問題と直面せざるえをえません。
実存的な問題に直面しないで、エネルギーの流れが阻害された状態でいるとアイディンティティ・クライシスが起きます。
こういった局面を回避しているうちに、病気という症状で体に出て来ることもあります。
体にでない時は、心の問題として、精神の障害として、起こる事もあります。
実存的なプロセスを無視して、物理的な体だけを治しても、実存的な問題はそのまま残っているので、今度は心や対人関係に問題が浮上して来ます。
実存的な問題を抜きにして、心の問題だけをセラピーなどで処置してしても、今度は身体の問題として出て来るでしょう。
あるいは社会的問題や人間関係における問題としてでてくる事もあるでしょう。
内部で変化が起きている時に蓋をした場合、抑圧する力が強いほど対抗する力も強まってしまいます。
突然の恐怖に抵抗すると、全く身動きできない状況や呼吸困難、過呼吸、自失状態、錯乱状態になったりすることもあります。
強く抑圧しているうちに突然、激しい行動表現が起きて、自我が崩壊します。
その時上昇して成長するか。下降して退行してしまうかの選択があります。
社会的経済的問題に出会う事もなく大きな病気もせず、心の問題を感じないで一見平凡な人生を送って来た人でも、肉体の死を迎える時にどなたも実存的危機をむかえるようです。
実存的変容は誰も避けては通れない道なのです。
変容が突発的に起きた場合に、何が起きているか理解できないと、退行してしまいます。
変容が自覚的に行なわれた場合は上昇して成長が起きます。
昆虫の成長は卵からイモムシが生まれてきて、それがサナギとなり、サナギから蝶になります。
昆虫が成長する時、体のほとんどすべてが、どろどろに溶ける状態を経過します。
それから、蝶になって自由に羽ばたくのです。
あらゆる危機状態は変容が起きるチャンスです。
体と頭が元気なうちに、変容が起きたときに慌てない準備をしておいた方がいいでしょう。
「もし末梢的な興味や重要ではない目的の輪の中で、空回りしている普通人の生活の恐ろしさを、仮借なく見抜く事ができたら、自分にとって重大なことはただ一つ、この普遍的法則から逃れる事、自由になる事しかありえないことを得心するだろう」グルジェフ
Facebook松本 昌大事さん投稿記事~ 脅しから癒しへ ~
世の中には脅す人や脅す情報があります。脅す人や脅す情報に触れるほど脅されることになります→(😣)←
世の中には癒す人や癒す情報があります。癒す人や癒す情報に触れるほど癒されることになります←(*´▽`*)→
脅す人や脅す情報との縁を弱めて癒す人や癒す情報との縁を強めるにはどうすればいいでしょうか?
それはまず自分で自分を癒すことです←(*´▽`*)→
類は友を呼びます。自分で自分を癒すほど癒す人や癒す情報を呼び癒しの好循環が起こってきます◎
自分が癒しの波動を出すほど 癒しの波動を出す人と自然に縁がつながっていきます◎
自分を愛するほど 自分が光り輝きながら安らいでいき 自然に癒されていきます◎
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