60日ぶりに飲むお酒
愛し君へ
梅雨明けの前に夏本番な今日この頃いかがお過ごし。
水分と塩分の補給を忘れずにね。
少し前に遡るけど、この二ヵ月の出来事を君に伝えておくね。
5月13日
この日は八王子でライブ。
終了後、親友と会い、お酒を飲んでラーメンを食べた。
ここから約一か月間、大きな案件を抱えていたため、
この日を最後に恒例の禁酒と禁ラーメンだ。
5月17日
終日リハーサル。
日程を逆算すれば、ここで頑張らないと後が辛い。
ただ、それが最初の間違いだった。
明らかにいつもよりオーバーワークをしてしまった。
5月18日~20日
歌っていない時でも喉が枯れている。
少しでも気を紛らわそうと、連日スーパー銭湯に通った。
ミストサウナで喉を潤した。
5月21日
終日リハーサル。調子は悪くなかった。
しかし、結果としてそれが仇となった。
無理をしてしまった。歌っている途中に喉に熱を感じた。
練習を止めたが、帰りの車の中で全く声が出なくなった。
5月22日
耳鼻咽喉科へ。
声が出なくて病院に行くのは何年振りだろう。
診断結果は慢性上咽頭炎。
お医者さんが言うには、一朝一夕で出来た炎症ではないらしい。
2週間分の薬が渡される。
そして大事な本番が流れた。
喉の不調が原因で本番を流したなんて、
過去にほとんど記憶がない。
悔しかった。涙が出る程悔しかった。
関係各所に詫びを入れ、とりあえず治療に専念した。
お医者さんからは、とにかく喋らない事、歌うなんてもっての他だそうな。
そこから約一週間、全く歌わなかった。
ピアノも弾かなかった。レコードも聞かなかった。
音楽に触れれば自然と歌ってしまう。
そして、それがどれほど苦痛だったことか。
良かった事は、薬を飲むために、朝ごはんをちゃんと食べる事。
そして夜は抗アレルギー薬があったので、落ちるように眠れた事。
気晴らしに運動をしていたので、喉以外はとにかく健康だった。
そしてわかった。
体中痛くても良いから、歌える方が幸せだと。
ラーメン食べられない、お酒飲めない、歌えない。
ストレスがとにかく凄かった。
いくら健康な体でも、ストレスフルでは意味が無かった。
6月に入った。
4日にイオンモールで本番があった。
関係者に事情を説明し、いつもの3分の1程度の演目にしてもらった。
みんな本当に優しかった。有難かった。とりあえずリハビリだ。
スタジオに入った。いきなり歌えば、二の舞になると思い、
今日はSAXを吹くだけにした。
この時ほど、SAXをやっていて良かったと思ったことは無い。
一週間ぶりに音楽に触れた。全身が痺れた。
世界中どんなに探したって、音楽より強い麻薬は無いのかもしれない。
吹きながら自然と涙が出た。この日から何回かSAXリハビリを行った。
翌日、同じスタジオで約2週間ぶりに歌った。60%程戻った感じだった。
上の音が当たらない。裏返る場所を避けるような歌い方でカバーした。
この歌い方はとても勉強になった。転んでもタダでは起きないぞ。
6月4日
迎えた本番。いつもと違う調子ながらも、何とか歌い切った。
二度と出来ないステージとなった。
翌週、病院へ。リハビリをしながらの治療を先生は認めてくれた。
それなので思ったよりも治りが遅かった。
「もう二度と前のように歌えないのでは」と不安になった。
骨折したアスリートはもっと不安かもしれない。練習と治療の間で揺れた。
6月中旬
一つ目標としていた仕事を終えた。
ここでラーメンだけ解禁する事にした。
5週間ぶりのラーメン。復帰戦は家系と決めていた。
太麺と濃厚なスープ。一口食べた瞬間、脳天に雷が落ちたようだった。
そして、そこから徐々に喉の調子が良くなった。
奄美大島に行ったのも良かった。
6月下旬の検査で先生に良くなったと言われ、
自己判断で薬も止めていいと言われた。
7月に入ってからは、これまでの不調がウソみたいに夢中で歌えた。
ただリハーサル後のうがい薬や龍角散を欠かさなかった。
そして、このラブレターを書いているのが7月13日の朝。
昼過ぎから今年一番の大仕事。
そして今夜、60日ぶりに飲酒をするつもりです。
どんな味なのだろうか。
久々に喉を痛めてわかった事。
大金を持っていても、喉が痛ければ意味が無いって事。
身体が健康でも、ストレスを溜めてはいけないって事。
健全に歌えることが、どれだけ素晴らしいかって事。
この声が君に届きますように。デートの約束をしよう。
次会う日まで会えない時間を大切に。