チカぷの一日一楽

待って、、お門違いだよ

2018.07.19 08:21

皆さん、こんにちは。

今朝も昨日は見かけなかった犬の迷子のお知らせをいくつも見かけました。

毎日毎日次から次へと、これほど多くの犬たちが行方不明となっている現実に、どうにかならないのか、お願いだから逃がさないようにと、心が軋むような思いがしていました。


しかし今日は、Twitterで見かける「迷子犬」の飼い主さんによる愛犬の捜索ではなく、迷子の犬を見かけた親切な皆さんによる保護、警察へと無事に届けられた投稿によく見かけるコメントについてなんです。


飼い主が見つからなかったら、保健所に収容され最後は殺処分です。


こんな言葉を見かけたことがある皆さんも少なくないと思いますが、そんなとき、どうなされていますか?


下のTwitter内での投稿は、ある迷子の犬を見かけて警察へ届けてくれた方に対してのコメントについての私とのやりとりです。見て感じて考えてくださいませんか。


ひとつ誤解していただきたくないのは、こうした意見をコメント投稿されるかたは、この方だけではありませんし、これはこの方への批判などでもありません。この方とは会話を通してご理解いただけております。その上で知っていただきたいし、ご注意していただきたいのでブログにすることにしました。



多くの方々は、事故にあう前に保護してくれたこと、それ以上の遠くへ行ってしまう前に保護されたこと、その優しい行為に感謝をされます。

しかし一部のこうした方々は、なぜ、こんな無責任なことが、こんな酷いことをコメントに残し言えるのでしょうか。


飼い主さんのもとへ保護した犬たちを帰してあげられたことのある皆さんなら、飼い主さんの喜ばれた顔を犬たちの喜びようを知っているはず。


親切な方に保護してもらえたことから奇跡的な再会を迎えられた安堵と喜びの朗報の投稿を見かけてる皆さんなら知っているはず。


未だに再会の希望だけを求めて諦めずに捜索されてる飼い主さんの心のうちを知る方も想像できるはず。


残念ながら不幸にも無事な姿に間に合うことなく訃報となってしまった飼い主さんをご存知の方、交通事故や力尽き遺体となった姿の犬たちを見かけた人たち、やっと保護されたのに助けたくても既に必要な治療の施しようのない犬たちを知るひとたちなら・・・


私も実際に相談や捜索にも携わってきて、上記に書いたすべてに関わり、本当に一言では言えない様々な気持ちに気づかされ考えさせられ悩み続けています。


唯一、そんななかで思いが高まるのは、人が向ける思いやり優しさによる行動、皆さんの手助けが動物には必要だということなんです。


大きくても小さくても、迷子か野良かでもなく、ペットである動物には、私たちが声をかけて手を差し伸べ向き合わなきゃ、行き場もなく真っ直ぐに彷徨い歩く足を止めてあげなきゃ、過酷な環境から逃れることができず生きていけないんです。



Twitter内のやりとりのなかでも書かせていただきましたが、この人の言われてること、とても良く分かります。せっかく保護され救われた犬たちの命も飼い主次第で犠牲になることがあります。それを多くの人たちに知ってほしい、その気持ちも理解できます。


しかし、収容されることは悪いことではありません。殺処分されるための収容でもなければ、そのようなための施設ではありません。犬たちの所有者となる飼い主を待つための保護、飼い主を探すための収容情報です。


ここを既に履き違えてるようにも思うんです。センターや保健所を恨むのも悪く言うのも、保護してくれた方へ殺処分されるかもしれないことなど告げるのは違うし、責任を押し付けるのもお門違いなんです。

殺処分を反対されるなら、処分をさせないように、所有者不明のペットにさせないような飼い主の皆さんの意識へ向けての啓発をしなければならないのに。



もうひとつ。下の投稿は、やはり保護して警察へ預けてくださった方の投稿でした。この方は少なくとも一部のそうした声をご存知のようでした。なんだか後悔をされてるようにも感じる切なくなる投稿に、これでは良くない!と思い、コメントを添えて投稿させていただいたものです。




お願いです。

躊躇なく保護して預けて下さい。自宅で保護できない方も犬のひとり歩きを見逃さずに保護して警察へ届けてください。私はひとりの飼い主としてお願いします。感謝します。

そして、殺処分から守るのは責任を持って迎えにいく飼い主となるべきなのです。飼い主次第なのです。私は万が一のために飼い主の責任と義務を守り所有者の明示を示しております。



お願いです。

繰り返し言わせてください。保護してくれた方へ時に殺処分などのこと言われる方々がいますが、そのようなこと言わないで下さい。人の助けを必要としてる動物を保護することが「優先」されるべきだと思います。

私が飼い主なら自身の不注意から逃がして危険に晒している愛犬を探しても見つけれず途方に暮れて、後悔と心配でどうにかなりそうなほどのとき、誰かの優しさに無事に保護して届けてもらえて奇跡の再会が出来ることは、何にもかえられない感謝しきれないほど有難いことなんです。


みんなの個々の意識、皆さんとの意識の共有が必要なことだと思うんです。


命を生き生かすための保護

幸せを身に纏う輝きを願う保護

犬のひとり歩きを見過ごさない。

見過ごすことだけはしないで欲しいと思ってるのです。



行くあての分からない道を進むことしかなかった犬

優しい声に足を止めてもらい

優しい手に触れられ保護されて

警察や保健所で保護される

見ず知らずの場所で怯えてる

彷徨い疲れ切ったのかな

安堵しているのかな

ご飯も水も眠る場所もあるよ

過酷な環境から逃れることができる

落ち着いたボロボロの犬

ボロボロでヨボヨボした犬

迷子犬をみると、この犬の飼い主という人間が透けてみえるようです。

人間の私たちからしたら最低でも、この犬にとっての大切な家族、唯一愛する家族だもんね。

だから、裏切るな人間!飼い主さん、しっかりして!!

みんなが幸せを願って、進んで保護ができるように、所有者を示してください。

Lovely days  CHIKA'S MIND TRIP