Ameba Ownd
アプリで簡単、無料ホームページ作成
2018.07.20 06:25
◎御詠歌
み仏の 誓を手にし 深浦の 人の心に 月影ぞ澄む
みほとけの ちかいをてにし ふかうらの ひとのこころに つきかげぞすむ
【宗派】 曹洞宗通幻派
【御本尊】 釈迦如来
【札所御本尊】 如意輪観世音
【真言】 おん はんどま しんだまに じんばら うん
【略縁起】
はじめ旧岩崎街道(岩崎~深浦間)に沿う高台上にある城跡(元城)の向側高台(寺屋敷)に寺があったが、天正二年(1574)に現在地(岡町)で開山した。開山したのは弘前市常源寺の二世體岩義道(たいがんぎどう)和尚で、それ故に常源寺の末寺となる。また寺屋敷以前は、岩崎村(現深浦町岩崎)笹内川流の高岱寺(こうたいじ)屋敷と称する所にあったという昔からの言い伝えがある。現在の宝泉寺のある場所は、深浦十二景の一つとされ、猿神鼻(さるかみはな)の上で、庭前より眺める深浦湾の景色は絶景とされる。また宝泉寺の晩鐘も十二景の一つとされ、「猿神鼻の丘上松樹欝蒼たる間一精舎あり宝泉寺という。一杵の鐘声晩靄を破りて響く処、無明長夜の夢は覚めて身は是れ、禅門に在るの想あらしむ」(昭和九年深浦町史)とある。昭和十八年、国に献納されたが平成十一年再建され、昔のように鐘声を響かせている。(富山県高岡市老子製作所製造)また鐘楼堂建立の際(平成十年)の基礎工事中に、地中より「経石」(石一つ一つに経文の一字が書かれている)が約一トン約七万個が発掘された。天明八年(1788)に医師大髙杏因(おおたかきょういん)が四恩報謝と阿部比羅夫(あべのひらふ)の神霊を慰めるために、法華経一部八巻二十八品字数六九三八四字を小石一個に一字ずつ毎日百字を書写し、日和見山に埋納したと言い伝えられてきたそのものと推測される。大髙杏因の意を汲み、本堂下の地に再埋蔵し、一部を展示している。現在の本堂は元禄時代に建立され、その間に火災に見舞われたが、松岡屋佐々木原家により幕末の安政二年(1855)に改築している。しかし、本堂玄関入口にある西瓜唐獅子の彫刻は、元禄時代の名残りをとどめ珍しいものといわれている。境内の一角には金毘羅堂があり(開山当時から昭和四十年頃までは本堂内にあった)航海人の願いをかなえるといわれ、天保の時代(1832)まで盛大に祭りが行われた。四国の金毘羅より分社されたもので、カニの彫刻がはめ込まれている。伝説によると近くの沢に蛇が多く生息し、禅僧の修行や参拝者の邪魔をしていた。ある時、寺が大蛇におそわれたので、修行僧が一心に読経を続けると、海からカニがきて大蛇を退治してくれたという。それからカニは金毘羅堂の守り神として、宝泉寺では今でもカニを食べないことにしている。また金毘羅堂には、金毘羅大権現のほかに、秋葉三尺坊大権現、焚火(いさりび)大権現も安置され宝泉寺を鎮守している。
【電話】 0173-74-2306
【アクセス】 〒038-2324 青森県西津軽郡深浦町深浦岡町152
【田中チヨ尼奉納御砂】 紛失
【納経料金】
・納経帳 ¥0
・笈摺(白衣) ¥0
・納経軸 ¥0
※お気持ち分をお賽銭へお願い致します。