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私につける薬

2018.07.20 16:25


女優さんになりたい!

その夢は叶えられた。


上を見ればきりはないが、セレブライフも謳歌した。


イルカと泳ぎたい!

気がつけば水深53メートルに達していた。


エコライフの実践

南の楽園で暮らす!

なんとか暮らしはできている。


大麻の法改正に取り組む!

道半ばにて人生の修羅場を迎える…。


 東京オリンピックの前の年に生まれた私は幸運にも恵まれ、全てが望み通りとまではいかなくてもかなり恵まれた半生を送ることができた。

しかし、自分の夢ばかり追いかけきた私は家族を作るとか、人を育てるとかという将来を見据えて、社会に還元をする事を忘れていた。

 その代わりというのはおかしいかもしれないが40代に入ってからは次世代にはできるだけ自然を残したほうが良いのではという思いから、環境活動に熱心になっていた。

大麻の活動はその中から見つけた私なりの人類救済の一つの解決法ではあった。

この辺りのことはもう少し日本の論調が変わらなければ理解はしていただけないのでこれ以上の無理な啓蒙活動は逮捕後やめている。


事件後はたと気がつけば50代半ば、走り続けて来た私に逮捕後ストップがかかり自分を見つめ直す機会が与えられる事となった。

人生の終末をどう過ごそうか真剣に考える、都会の社会の歯車に巻かれて忙しく働き、気がついたら死んでいたという方が案外よかったのかもしれないと思うときもある。

自然の暮らしは環境的には楽園なのだが快適な暮らしを確保するための作業は過酷だ、綺麗な沢水をふんだんに使える生活の心地よさは決して都会では手に入れられない、早朝清涼な空気の中、鳥のさえずりで目が冷める最高の瞬間だ。

しかし、都会の便利で刺激的な生活も時々懐かしく思う、つくづく欲張りな性格だということが浮き彫りにされる。


釈放後どうなるかと思っていた生活も少し落ち着き始めた頃、友人が訪ねてくれ瞑想の話で盛り上がった。

友人はご夫妻でヴィパサナ瞑想を経験された後、我が家にお越しいただいた。お二人がヴィパサナ瞑想のお話をしてくださるときのキラキラした瞳を見て私も行くべきと思うに至った、思うに至ったという表現をしたのは以前からこの瞑想方法の話はたくさんの人から聞いていたからなのです。

そしてもう一つ興味が湧いたのは、彼はすでに60を過ぎていて眼鏡使用者だったのですがこの瞑想後メガネのいらない生活に変わったというのです。

私も親知らずの抜歯以後体調の悪化に苦しみ続けていた、たかが親知らずと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合、特殊な位置に生えており上顎洞すれすれにもがれた親知らずの抜歯後体調不良に苦しんできました。なんとかいろいろな管理方法で生き延びてはいますが、痛みや不快感から逃れられず命を投げ出したい気持ちになることもしばしばあったのです。

この国で医療大麻が解禁になる気配もなく、この苦しみと付き合う一生なのかと諦めを抱いていました。

もしかしたら私の身にも何か変化は起きないものかと期待してコースを取る事にしたのです。


ヴィパサナ瞑想はそもそもブッダが悟りを開いた際の瞑想法と言われている。後にミャンマー人のゴエンカ氏が再びインドに持ち帰り今では世界に187のセンターを持っている。

10日間のコースでは、期間中は誰とも話さない、読み書きもしてはいけない、もちろん携帯はダメ。

お食事は1日2回、玄米、白ごはん、パン、と一菜お味噌汁、5時にはフルーツ、飲み物を少し。

とにかく同じ姿勢で1日9時間は座り続ける。

1人で修行している事前提なので他の人の事は気にせず自分の世界だけに入るよう務める。


終わったとき始めに口から出た言葉はと聞かれたのだけれど、そのまま聖なる沈黙の中に居続けたかったというのいうのが一番の感想でした。

日常の生活がいかに忙しいかを実感する。

頭の中は常に自問自答を繰り返し、夢や希望の地図を描き、損得をはかりにかけ、周りに気を使い、自分がどう見られているのか気にかける。

この空間では自分を客観的に観続け、ただ静かに座ることだけを行えばいいだけだ。頭からは雑念が消え静けさの中にいられるようになってくる、それと同時に体も軽くなってくることを実感する。掃除を終えたお部屋の中を清々しい空気が流れる様に。


かつて私は何度かこうした経験をしたことがある、その一つはフリーダイビングに夢中になっているときだった。

私は30代後半イルカセラピーをしたいという思いからフリーダイビングという競技に夢中になった。

2002年のワールドカップでは世界で2位という成果を上げることができた。

フリーダイビングという競技はタンクを背負わず、マスク、フィンという装備だけで水深深く潜って行くというもの。

息を止めて海の中深く潜るという行為はまさに自分の内なる世界と向き合う行為、これも瞑想の一つのやり方だったのだと思う。

水の中で酸素をできるだけ消費しないように体を調整していく、深度深くても冷静でいられるメンタルを鍛え、水深53メートルを経験した私にとってヴィパサナ瞑想は何かフリーダイビングと共通するものがあると感じられた。


このヴィパサナ瞑想はヨガや瞑想、座禅などを全く経験したことのない人にとっては御利益よりも苦しみ嫌悪を感じて(私には無理)と逃げ出してしまうかもしれない。

しかし、この経験で感じられることは皆がどこかで望んでいる状態なのではないかと思う、幸せとは平和とは何か人は探し求める、しかしその果実は自分の中にあったということに気がつく、その過程で大切なことは考えを捨てて行くことやエゴの解放ということなのです。

自分を手放し委ねるという行為そしてその先にある得体の知れない静寂と安らぎは驚くほど共通点がある気がしました。


面白い記録がありますのでこれをぜひご覧いただきたいhttps://www.ted.com/talks/guillaume_nery_the_exhilarating_peace_of_freediving?language=ja#t-93781


私は当時、成瀬雅春氏の呼吸法の本に出会い良い学びをさせて頂いた。

その後、直接お会いする機会に恵まれ、成瀬氏からもフリーダイビングで得られる感覚と瞑想には共通点があるのではと言っておられたのを思い出した。当時私も瞑想はいくらか体験したが、今思えばあれは体験ダイビングの様な体験瞑想であったのかもしれないと思う。

フリーダイビングの経験があったお陰で今回のヴィパサナ瞑想は素晴らしい旅をすることができた。久しぶりに私の中に静寂が訪れた。


瞑想を通じて何が起こるかは人によって様々である。

瞑想を通じて繋がるという感覚に達することができればいいと思う。

まずは自分自身の体と心の繫りを感じる、さらに深く進むとそこは私のない世界へと進んで行く。その時、真のリラックスと深い感謝の涙が溢れ出ることでしょう。

そして、その歓喜すらもまた追いかけても意味のないことを理解できるようになった。


幸せを探し求めてさまよい見つけたものは外にあるものではなく心の置き方次第だということ、立ち止まって考えるだけでは未だ未だ浅く、静かに座り呼吸の中に入って行く、仏陀が残してくれたヴィパサナ瞑想法、沢山のチャレンジをし地獄まで見た私には最高の良薬であった。