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石川県人 心の旅 by 石田寛人

夏のにおい

2023.07.24 15:00

 暑い日が続いている。こんな夏を我々老人が乗り切るには体力が必要だが、年とともにそれが失われつつあるのは、やむを得ないこととはいえ、いささか寂しい。視力、聴力もどんどん劣化している。視力は子供の頃から弱かったが、聴力には自信があった。しかし、今は、老いてなお鋭い音感を持つ妻に遠く及ばず、すぐにテレビの音を大きくしている。 そんな中で、嗅覚は、若い頃とそれほど変わらないと妙な自信を持っている。視覚に関しては、視力検査表で指し示されたカタカナを読み、大小の輪の開き口の方向を告げて、0.6とか0.1とか記録される。聴覚に関しては、イヤホーンを付けて、高さと大きさの違う多くの音を聴取し、結果がすぐグラフ化される。このように定量化されやすい視覚と聴覚に対して、嗅覚は、もともと微妙なものだから、専門家はともかく一般には、簡易な数値化は容易ではない。よって、嗅覚については、データがないから、過信か自信かはともかく、それが崩れないでいるのである。

 夏は、そんな嗅覚が活躍する「におい」の季節だ。「匂い」は、源氏物語の匂宮のように心地よいにおい、「臭い」は、「くさい」と読まれることが多いように不快なにおいに使われるが、ともかく、無色無臭とされながら、実際にはとてもにおう「汗」をはじめ、夏はにおいが我々を包む。前に本欄で触れた俳諧集「猿蓑」の「市中(いちなか)の巻」で江戸時代の加賀の俳人野沢凡兆が詠んだ発句「市中はもののにほひや夏の月」では、人々が密集する京都の町中の家で、汗のにおいや、食べ物を煮炊きするにおいが漂って、それが夏らしさを醸し出していることが見事に表現されている。月はその市井の様子をはるか高いところから覗いている。炭坑節に歌われる三池炭鉱の上に出た月は、高い煙突の煙で煙たいかもしれないが、京都の町を覗く月には、さすがににおいは届かないだろう。

 さて、煙といえば、夏を実感するのは、蚊取り線香の煙とにおいだ。我々の血を吸おうとやってくる蚊が嫌うのは、除虫菊の燃焼で発生する煙なのか、においなのか、あるいは、それ以外の気体の化学物質なのか、私にはよく分からない。除虫菊からとった材料を線香にして、ぐるぐると巻き、燃焼を長く保たせるようにしたのは、その発明者上山英一郎の偉大な力で、これによって、蚊取り線香は我々からひと晩蚊を遠ざけてくれている。

 我が家では、円筒状の蚊取り線香貯蔵容器の上部にあって、上が大きく開いている燃焼容器を用いている。そこには、不燃性の綿状の物質が敷かれており、蚊取り線香を点火すると、煙とにおいと蚊の忌避物質を出しながら、少しずつ燃えていく。ある朝、燃え尽きた蚊取り線香を見たら、燃えてできた灰がきれいに1.5センチか2センチほどの長さに揃って切れて、渦巻き状そのままに残っていた。これは菊の花びらのようでもあり、除虫菊が最後の花を咲かせたように感じた。線香が燃えて灰になり、やや縮んで、それがある程度の長さになると、自重に耐えられなくなるのか、ちょっとした振動などで、切れていくようだ。そのにおいと姿で、我々に夏を実感させながら蚊を退ける蚊取り線香に感謝しつつ、その状況を写真に収めたのだった。(2023年7月18日記)