壱岐(一大国)
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。やや田地有り。田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」
対馬の次に紹介されている国は一大国 現在の壱岐のことです。
ここも対馬と同様 卑狗と副は卑奴母離が治めていたそうです。
壱岐の古代の首都は現在の原の辻遺跡で出土物に大陸系の品が多く、中国鏡、戦国式銅剣、貸泉などの中国の銭貨、トンボ玉、鋳造製品、無文土器、三韓系土器、楽浪系の土器などが出土しました。
またこの島では鉄の高炉が発見されており、少なくとも1~3世紀 魏志倭人伝の時代には鉄が生産されていたようです。
この時代の壱岐の卑狗と卑奴母離に当たる人物を調べてみますと最初に名前があがるのが日本最古の神社といわれる月読命です。
本当の月読神社と云われる男嶽神社
月読神社の祭神は月読命ですが、彼の本当の名前は金官伽耶の金首露の子孫 金越智の子孫 大山津見命で鉄の加工は紀元前から生業としていたようです。
彼が卑狗であったなら鉄の高炉も納得がいくところです。
次に卑奴母離ですが片国主神社の御祭神 少彦名命 相殿 菅原道真公 天月神命 『壹岐神社誌』とありますが伝承では唐土から石舟に乗ってやって来た、唐田天神を祀っていたとありますから、これを少彦名命と考えると一緒に国を治めた天月神命こそが大国主(山幸)であったと考えるのが妥当といえるようです。
また彼の別名は猿田彦で天月神命であったと考えると男嶽神社の猿も納得がいくのかもしれません。