貴子、いつか自殺しちゃうんじゃないか。
”ってずっと思ってた。”
先日会った高校からの親友に言われた言葉。
私はそれ位長きに渡り不安定だった。
が。
私も驚いた。
人生で山あり、谷ありだったけど自殺願望があった事は一度も無かったから。
でも高校も大学も、もっと言っちゃえば30前半まで、私はずーーーっと不安定だった。
そして。その不安定さは。側から見ると”自殺しちゃうんじゃないか?”ってくらい不安定だったんだろう。
4歳の時に親の離婚が有って新しい母が7,8歳の時に来て。妹と弟が立て続けに小学校高学年で生まれた。
何の不満も無かった。
顕在意識ではそう思ってた。
でも厳しくは育てられた。妹、一人っ子の期間を経ての長女だったし。
新興住宅街に1軒しかない病院の娘だったし。piano,英語、バレエ、習字、公文。
やりたいと言った事は全てやらせて貰った。
”褒めて育てる”よりは”ダメ出しして育てられた”気がする。
でもそのひずみが高校受験で出た。
初めて過食したのは15歳の時。受験勉強から逃げたくて”食べてる時は何も言われない”事に
気づき食べ続けた。そしておきまりの嘔吐。そこから36歳まで全てのストレスは”過食、嘔吐”に転嫁された。
誰が悪いとかではない。
その当時、カウンセラーなんて一般的じゃ無かったし。過食についての本も2冊くらいしかなかった。
私は高校、大学、ずっと家族の中に私の居場所は無いと感じてきた。
だから”将来家族は持たない” ”一人で行きていく”と高校の時に決めていた。
そりゃ、メンタル不安定だわ。笑
家族からはその当時を”尖ったナイフ”と言われている。
そしてその当時からずっと私を見てくれている親友や、大学入ってからの親友はずーーっと
”不安定な貴子”を見守ってくれて来た。
私は自分では気付いてない自分を多くの素晴らしい友達から指摘されて初めて認識する事が多かった。
”貴子は不安定で危なっかしくてみれられなかった。”
”貴子は人の顔色見るよね。”
”貴子生き急いでるよね。”
”貴子は世界中どこにいってもTakakoって生き物だよね”
人に言われて初めて認識した自分の事。
そして友達以上に。その当時付き合ってた彼氏達が居てくれたから私なんとかなったんだと思う。今思うとホント良くあんな大変な私と付き合ってくれたと思う。
あ!思い出した。
当時付き合ってた彼に。
”何してても心配で、心配で危なっかしくて見ていられない” って言われた事が有ったわ!
本当に自己認識なしの不安定さだったのね、私。笑
で。今思い返しても付き合ってきたdarling達はその当時に私にとっては世界一いい男達だったし今でも感謝してる。
そして親友に言われた”貴子、お母さんに会ってから本当に落ち着いたよね”って一言。
両親が離婚した時私は父に、兄は母に付いた。だから私は産みの母と28歳の時に兄の結婚式で再開するまで24年間一度も会っていなかった。
特に”会いたい”と思った事も顕在意識では無かったし子供心に親の顔色を見ていた事も否めない。
でも28歳の時に24年ぶりに母の顔を見て(それまで写真も一度も見ていない)会った瞬間母だと分かった。自分でも驚いた。
そして”私の居場所が有ったんだ”と思った。(別に新しい家族の中にもきっと有ったのだ。それは私の中の問題だと思う。)
自分では気付いて無かったけどそうかもしれない。
実は。
”貴子、いつ自殺しちゃうか不安で仕方なかった”
って言ってくれた友達からこれを聞いたのはつい最近で。
本当に有難いな、、と思ったのだ。彼女はそう思いながらずっと私を遠くから見守ってくれてた訳で。もう泣きたくなる程 彼女からの愛を感じたのだ。
”人は変わらない”って思ってたけど。
私は変わった。強くなったと思う。そして円くなったとも思う。漸くね。
持つべきものは。多くの表面的な付き合いをする知り合いよりも
”本当に深く付き合える大切な人たち”だけで私はいい。友達も男女関係も。
そして”自分の居場所”と”自分を信じてくれる人”が居たらそれだけで人って生きていけるんだと思う。