自分が正しいと思い込む勘違いに気づくと視点が変わり、素直な自分に近づける
2018.05.17 07:09
前回は、パイプオルガンの演奏に行った時の
印象について書きました。
演奏会が終わった後、感じた事を娘と話しました。
お互いに率直な感想を言い合って、
充実した気持ちで家路へ向かいました。
あとで思ったのですが、
「いい音楽って、共有できる面が多いなあ。」
と感じたからです。
娘は10年近くピアノのレッスンを受けていたので、
音楽に対する感覚や技術、知識は、
私より遥かに持ってます。
それでも共有できるものがあるというのは、
本物の音楽の底知れぬ力を感じました。
今回の演奏の感想をお互いにシェアしたのが
本物の音楽の底知れぬ力を感じました。
今回の演奏の感想をお互いにシェアしたのが
キッカケで、思い出した事がありました。
それは、私が心の学びを始めた、
今から2年ほど前の出来事でした。
娘は妻を通じて私が心の学びをしている事を
私が始めた心の学びに違和感を持ったようで、
結果的に私との考えのぶつかり合いになりました。
お互いに自分の心の学びが"正しい"と
しかし、この論争の数日後に気づいた事がありました。
「あんな論争しても何も意味がなかった。
人間は年をとって経験を積んでも、
所詮、自分の考えに固執する限り、
勘違いする動物に過ぎない、
という事のようです。
娘は妻を通じて私が心の学びをしている事を
知りました。
娘は既にトイレ掃除のボランティア活動を通して、独自に心の学びをしていました。
私が始めた心の学びに違和感を持ったようで、
結果的に私との考えのぶつかり合いになりました。
お互いに自分の心の学びが"正しい"と
思い込んでいたため、不毛の議論の論争でした。
当然の事ながら、結論は出ませんでした。しかし、この論争の数日後に気づいた事がありました。
「あんな論争しても何も意味がなかった。
頑固な自分を認め、視点を変えて、
言動やあり方を示す方が理にかなっている。」
と思い直しました。
「親でも娘の考え方を変える事はできない。
だったら、先に自分の考え方を
修正した方がいい。」と、
さらに方向性が定まりました。人間は年をとって経験を積んでも、
所詮、自分の考えに固執する限り、
勘違いする動物に過ぎない、
という事のようです。