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砂町銀座周辺 治兵衛稲荷神社

2023.07.24 21:00

きのうの続きです。


帰路、いろいろ撮ってみました。

砂町銀座商店街です。


戦後しばらく石田波郷が住んでいた町です。


「古志」鍛錬句会でよく吟行しましたので、


なつかしく思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

平日なので落ち着いていますが、


テレビなどで取り上げられることが多いため、


土日は結構賑わいます。

商店街を一筋逸れた通りです。


ここも下町の空気感が漂います。

「稲荷通り」だそうです。

治兵衛稲荷神社。


いままで素通りしていましたが、立ち寄ってみました。

このあたりは江戸時代に埋め立てられ、開拓された町ですので、


日本でも歴史が浅い土地です。

もっとも、浅いがゆえの独特な奥深さがあり、そこが魅力です。

江戸時代・慶安(1648年)のころ、


このあたりを開拓した治兵衛という人物が建立したことから、


「治兵衛稲荷神社」という名でいまに残っているのですが、

建立した人物の名前がそのまま神社の名前になる例は、


珍しいのではないかと思います。

ユーモラスな狛犬。

治兵衛という人物について、探ってみたのですが、


力およばず、詳細を掴むことができませんでした。


以前の記事宇迦八幡宮)でご紹介したように、


江戸の町の開拓、とくに江東区周辺の開拓は、


近江商人が大きく関わっていたようですので、


あるいは治兵衛も元は近江商人だったかもしれません。

歴史が浅いとはいえ、400年ほども経っているわけで、


それなりに味わいとロマンが醸し出されています。


いまも町会でお祭りが行われているようです。


治兵衛稲荷神社例大祭


一見、よくあるふつうのお社ですが、


この町の成り立ちにはるかな思いを馳せたくなる神社です。


砂町近辺も面白い場所がたくさんありますので、


季節が落ち着きましたら、またご紹介したいと思います。

今週も災害級の暑さが続くとの見通しです。


くれぐれもご自愛ください。


【追記】まとめ


江東区砂町の「治兵衛稲荷神社」は慶安年間、


このあたりを埋め立て、開拓した「治兵衛」によって建立されました。


近江もしくは京阪の商人であったと思われる人物です。


「治兵衛稲荷神社」は開拓したこの村の商売・産業の発展を願って、


京の伏見稲荷から勧請したものです。


おそらく治兵衛はリーダーシップがあり、人望も厚かったのでしょう。


彼の没後も「治兵衛稲荷神社」と呼んできたのは、


この土地の人びとが開拓者・治兵衛のことを敬っていた名残でしょう。


いまでは治兵衛を知る手がかりすらありませんが、


わたしたちが住む土地が、


一朝一夕で成り立っているものではないこと、


多くの祖先の努力によって今があることを教えてくれます。


ちなみに「治兵衛稲荷神社」が建立された慶安年間といえば、


芭蕉がまだ幼い頃。


およそ30年後の延宝8年、


芭蕉は当時のニュータウンであった深川に移住してきますが、


芭蕉が深川に住むことができたのも、


のちに波郷が砂町に住むことができたのも、


治兵衛をはじめとした深川・城東地区の開拓者の存在があってのことです。