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カバラ 生命の樹

2023.07.21 06:58

TAO 自分さがしの旅@ilchi_tao

魂の成長には3つの勉強が必要だ。魂から得た知恵を人生の中で活用していく過程を意味する3つの勉強で「意識」「気エネルギー」「行動」。これが変わるとき、人生に本当の変化が起こる。


一指李承憲@ILCHIjp

科学技術の発達とともに機械が人間の機能的能力を超えつつある今の時代に必要なのは、機能的な教育ではなく人間本来の価値を探求し発展させる教育ではないでしょうか。時代が変わっても変わらない価値がカギです。人間の価値を実現する学問や技術が必要です。人間らしさの回復、それが人間性教育です。


Facebookまつだ ふみこさん投稿記事·

魂の旅は、あらゆる概念から自由に成ったらさらに広がる??

意識の比重と宇宙空間は比例してるかな〜

人間の意識の領域と自然界だったら自然界のほうがより精妙かな?!

自然界はエネルギー抵抗がより少ないと感じてる。

しかし、自然界には災害もあれば火事も在ると思うかもしれない。

もとより、自然災害は我々の意識が起こして居る可能性が在るとアナスタシアの本に書かれていた。

人類の喜びは太陽に届き、地球に返り、苦しみや悲しみ、怒りや恐れは地中に届き自然災害を起こす。と云う言葉がなぜか腑に落ちたことを覚えてる。

だから、我々は真の幸せを求め愛に生きる責任が在るかもしれない。

私達が真の自由と幸せが日常になれば自ずと人生ヘの視点や価値が変わり、魂の感じるままに生きるよね。

愛は体験であり。自由意志と共に昇華する。もとより、負の感情は二元の産物だから♥

カトマンズは、さらにさらにぼ〜とする時間が在り。感じたままにかいてみた。

カトマンズのカフェより。


妙法華経者@kannonnrik4423

·仏教には「山川草木国土悉皆成仏」という言葉があります。宇宙に存在するものはすべて仏になると言う事です。仏とは自立した自由人という事です。解けるから来ています。人によっては成仏を仏になるのでは無く、仏が鳴ると言った人が居ます。道元禅師です。自由の鐘が高らかに鳴る


https://ameblo.jp/lunahana2012/entry-12529639013.html 【カバラ 生命の樹】より

生命の樹は宇宙の真理を表す

『創世記』の人類誕生説話において人類の原郷たるエデンの園に「善悪の知識の樹」と並んで生えていたとされるのが「生命の樹」である 神のいいつけに背いて知識の実を食べ “目が開けた”人祖アダムとその妻エヴァは楽園を追放され 以後「生命の樹」は人間が近づくことのないよう剣と炎で守られる というのもこの樹の実を食べた者は「永遠に生きる者」になるからである すでに「知識の樹」の実を食べた人間がさらに「生命の樹」の実まで食べれば 人間は「神に等しき者」になってしまう

「今や生命の樹は上より下に伸びゆく それはすべてを照らし出す太陽である」(『ゾーハル』)ユダヤ神秘主義カバラにおいては不可知の超越神と創造された顕現世界との間にひとつの神秘的な関係が措定されていた カバラの徒によれば 世界の創造とは神の内的世界が外的な現象形態として顕現することに他ならない そして彼らはこの「創造=神の顕現」のイメージを逆さ吊りにされた樹の形で図示化した これがカバラの根本図像としての〈生命の樹〉である

カバラの〈生命の樹〉は一般に「セフィラ(複数形はセフィロト)」と呼ばれる10個の球体とそれを繋ぐ22本の経路(パス)で表される 各セフィラは左から順に「慈悲の柱」「均衡の柱」「峻厳の柱」と呼ばれる3本の「柱」の上に配置される形を採るが このセフィラこそが各段階における神の「流出」である カバラの徒にとってはこの図形は宇宙生成の秘儀を説き明かすものであると同時に また霊的修行によって魂を純化する道筋を描いた地図でもある

すなわち神が自らを流出させ物質界にまで顕現した過程を逆に辿り「マルクト」から「ケテル」へと〈生命の樹〉を登攀することにより 人間は神に回帰し各セフィラが表象する大宇宙(宇宙)と小宇宙(人間)のすべての秘密に通暁する これにより人間は『創世記』において神によって禁じられた「生命の樹」の実を手に入れ「神に等しき者」となることができるのだ

ケテル コクマー ビナーの三つのセフィロトが構成する三角形は御父エロヒム 御子ヤハウェ=イエス・キリスト 聖霊ルーハがいます『神界』を具現しており三つの角がそれぞれの神の象徴となっている他にもケセド ゲプラー ティファレトが構成する三角形ネツァク ホド イエソドが構成する三角形があり カッバーラではこれら3段階の世界観が基本となっている 具体的に上から『至高世界』『中高世界』『下層世界』と呼ばれ人間の有する霊性の輝き(=栄光)の階層構造を示すとともに人類史の3段階世界をも象徴する このことは『新約聖書』にも記されそれぞれ『太陽の輝き』『月の輝き』『星の輝き』として象徴されている 

 また天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています 太陽の輝き 月の輝き 星の輝きがあって それぞれ違いますし星と星との間の輝きにも違いがあります(「コリント信徒への手紙」第15章40~41節)

太陽の輝きとは神の栄光のことであり 至高世界に住まう絶対三神が宿す光のことである ゆえに絶対三神は「生命の樹」の最上位の住人であり「エリュオニム」と呼ばれる 上の生命の樹の象徴図形を見てほしい 生命の樹には22個のパス(小径)がありあるものは前にあるものは後ろにというように複雑に絡み合っている 22本のパスはヘブライ語のアルファベット22個に対応しており 神的属性を表すセフィロトをつなげている

 なかでもケテルからマルクトに至るジグザグのパスは神の意志を表す「雷の閃光=カヴ」の通り道でありこの電撃がマルクトに至ったとき人間は「生命の樹の道」を昇り人間の霊性と資質を成長させていくのである 人は生まれたときはマルクトに位置するマルクト=王国とは霊たちの住まう天界を意味するゆえ イエセドに至る道は霊的な生まれ変わりを意味する 人間は地上でさまざまな経験を積むことで人間的に成長していくそして再び天の父のもとに帰ろうとするのである すなわちケテルを目指すわけだが実際は生命の樹には終わりがない なぜならケテルは同時にマルクトを表し天に掛かる生命の樹の梯子は永遠に伸びているからだ 

生命の樹は始まりもなく終わりもない 絶対神自身がマルクトでありケテルであり 初めであり終わりであるからだ またカヴの通り道 すなわちマルクトからケテルに至る『生命の樹の道』は人間的成長とともに人類史の流れをも意味している

人類の祖アダムとエバが住んだとされるエデンは人類の初穂が住まう世界であり全地が神の栄光に満たされていた

当時の人間は血ではなく神の霊によって生かされていたため永遠に死ぬことはなかったしかしアダムとエバは最終的に楽園を追放されることになる 神から与えられた最初の律法を破り知恵の樹の実を食べてしまったたからだ 主なる神は東の方のエデンに園を設け自ら形づくった人をそこに置かれた(「創世記」第2章8節)エデンを追放されたアダムとエバ 人類の楽園は西方にある ルシフェルは霊の時代に堕落し天界から追放された

主なる神は彼をエデンの園から追い出し彼に自分がそこから取られた土を耕させることにした こうしてアダムを追放し命の木に至る道を守るためにエデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれた(「創世記」第3章23~24節) 

 聖書によればエデンの地は太陽の昇る東の方角にあり同時に東は人類史の始まりを示す方角である アダムとエバはエデンの東に追放されたとあるがこれは象徴であり実際の方角ではない なぜなら神がケルビムに守らせたエデンとは最初のエデンではなく最後のエデンであるからだ 最後のエデンは人類史の終わりを意味する西の方角に位置する すなわち聖書のいう『命(生命)の樹の道』とは 舗装された道路のことではなく人類が再びエデンに辿り着き生命の樹を手にするまでの人類史の流れそして人間性の向上を意味するカヴの道程なのだ

 神は、アダムが楽園から追放されたのち、アダムに同情して大天使ラツィエルを遣わしたという。ラツィエルはアダムに1冊の本を与え

「楽園」に再び入ることだけでなく、彼が「神のかたち」として「神の顔」を映す存在の鏡を見るものだということを思い出せるようにした。

この本は後世に伝えられるうちに意味が変化し、その口伝だけがまだカバラの中に存在しているのである。