断片。
フィジカルパフォーマンストレーナーのイシイです。
昨日今日と愛する剛のアリーナLIVEが仙台で。もちろん行けませんでしたが(>︿<。)
ベランダからの夕暮れは最高に綺麗でした。
猛烈に暑かったけど盛夏の夕暮れはすごく好きです。夜になるのさえわくわくする。夏っていう季節そのものに魔法がある気がする✨
実は昨日、イライラMAXに達しまして、何とか心を癒したくて滝でも見に行きたかったんですが(笑)出掛けた先で見つけた可愛らしいお店で一目惚れした花たちを買って帰って来て、早速寄せ植え。余は満足じゃw
新海誠監督の作品にある言葉で、
すごく好きなフレーズがあります。
『言の葉』とは
『その人の断片』である。
(ちょっと言い換えてますが)
使い手が変われば重さも意味もガラリと変わるのが『言葉』の面白いところであり怖いところ。それはいつからか『言葉』をものすごく大事にしてきたワタシにとってカミナリに打たれたかと思うくらい衝撃的な、それでいてこれ以上ないくらい納得のいく表現でした。
口から継いで出た言葉はその人そのもので、その人の断片なんです。一部なんです。
たった一言で信頼を失うこともある。
思ってもいないことなら言うべきではないし
その場だけの口から出任せの言葉かどうかなんてすぐにわかる。
それだけ、言葉にはその人の為人(ひととなり)がよく滲み出るものだ。
声に出して伝えて良い言葉がある。
声に出してはいけない言葉もある。
あえて声にしなくてもいい言葉も、ある。
嬉しい時、愛おしい時、楽しい時。
苦しい時、悲しい時、悔しい時、憤りを感じる時…。
その感情は、『言の葉』にして相手に伝えなくてはならないことなのか。
どうすれば
自分の想いは相手に届くのか。
一時の感情に任せて乱雑に言葉を浴びせたくはない。相手を傷付けるのは当然で、自分も深く傷付く。
言葉と行動が伴わないだけでなく、
それがものすごく理不尽だったから。
悔しくて悔しくて涙が出た。
一度自分の懐に入れて信じたなら、
カンタンに裏切られたなんて言わないで。
100歩譲って、
誰が見てもそれが裏切り行為だったとしても
信じたのは自分でしょ?
裏切られたと感じたのも自分でしょ?
信じてるから
も
大丈夫だよ
も
裏切られた
も。
その言葉にどれだけの重さがあるか考えて欲しい。責任持てないなら使うな、と。
あの日、監督に言われた言葉とあの目。
あの日、選手から投げつけられた言葉たちとあの眼差し。
めちゃくちゃ重かった。
むちゃくちゃ傷付いたけど。
それを言葉で返すよりも
受け止めようと思った。
事実は一つでも見方なんていくらでもある。
10人いれば10通りの感じ方がある。
トレーナーとしてチームや選手と関わり
同じ方向を向いて同じ目標に向かって戦う上でいつも最前線で体を張る選手たちを信じるのは当たり前のこと。
選手が自分のことを信じてくれるかどうかなんて日々の関わり方が全て。
あえて伝えることではない。
伝えるとしたら、
その言葉がその時その選手にとって強力な追い風になると確信が持てる時だけ。
(これはあくまでイシイの主観)
多用したりここぞという使い時を間違えたらその『言の葉』は途端に力を持たなくなり、枯葉のようにひらひらと風に舞い、発した人間への不信感が生まれる。
そうはなりたくない。
言の葉は、その人の断片。
だから声に出す前に、言葉が命を持つ前に考えて欲しい。その言葉の重さと意味を。
指導者としてトレーナーとしてじゃない。
『人間』として大切なことだと思うから。
久し振りにこんなことで悔しくて泣けたイシイでした(笑)
人間なんてちっさいのになー!!
あー、抱返り溪谷に行きたい(笑)
(本文と全く関係ありません)