洪水伝説
https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12271669339.html【ノアの箱舟と火の鳥伝説】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6983860/【世界中に存在する洪水伝説・共通祖先】
Facebook長堀 優さん投稿記事
七月十七日は、アララト山にノアの方舟が漂着した日と伝わります。
まさにその日、徳島県の剣山では、山頂に御神輿を担ぎ上げる「例大祭」が行われ、京都でも「祇園祭」のクライマックスとなる山鉾巡行が挙行されます。
日本と古代ユダヤ支族の繋がりに強い興味を抱く私のようなものにとっては、待ちに待った大切な日です。
祇園祭はご存知のように、八坂神社の祭礼です。しかし、八坂氏のルーツ自体、じつは日本ではない可能性があるのです。
嵯峨天皇の命で編纂された古代の公文書「新撰姓氏録」に八坂氏は、
インドのオリッサ・意利佐→タイのチェンマイ・川麻乃→高麗・狛国を経て日本に渡ってきた、と明記されているからです(「八坂造 出自 狛国人 久留 川麻乃 意利佐也」)。
そのルーツを思わせるがごとく、オリッサで行われるラタヤートラ祭りでは、山や鉾によく似た山車が街を巡ります。
それだけではありません。
2016年に私が京都で撮影した山鉾巡行の写真を掲載しますが、ラクダ🐪やバグダッドの宮殿を思わせる絵が飾られており、シルクロードを彷彿とさせます。いったいどこの国のお祭りなんでしょうか。
祇園はシオン(神殿の丘、シオニズムの語源とも言われる)に由来するとも言われてますが、祇園祭には毎回ロマンを掻き立てられます。
私が見た時は雨でしたが、今年は晴れて何より☀️❣️ 復活を心より喜びたいです\( ˆoˆ )/
剣山の「例大祭」の写真は、加藤サリーさん、鵜飼佳子さんからお借りしてます。
お二人の投稿から、現地の興奮がリアルに伝わってきて感激してます✨ありがとうございました😊
京都も徳島も見事に晴れ、大いに盛り上がってめでたい限りです🙌 弥栄❣️弥栄❣️
実はこの連休「線状降水帯」予報(予告?)が発令されてました。
しかし、当日の雨雲を見ると(写真を掲載してます)四国,近畿を含む日本の中央部で大きく断裂してるように見えます。
不可解な発生と不可解な顛末は、最近の台風でもよく見られることですが、この日、剣山の上空には不思議な雲が集まっていたようです。
その中心部には、レンズ型の透明な部分があり、周りの雲が吸い込まれていくかのように見えます。
鵜飼さんの写真では、なにか巨大な🛸みたいなのが浮かびあがっちゃってるような、、、お祭りを応援するため、雨雲を掃除してくれたのでしょうか🪅
相変わらず世の中は混沌とした状況が続きますが、国際情勢は水面下で大きく蠢いているようです。
真実は何か、自らの感性が試される日々がこの先も続きますが、大変動の時代を楽しみましょう❣️
なんと言っても宇宙は日本を応援してくれているのですから♪
https://kakuyomu.jp/works/16816452220155676320/episodes/16816452220166453079 【第3話 生命の樹と物質世界】より
生命の樹とは、人間を覚醒し、神人へと至らしめることを示していることです。
それは、箱庭という入れ物で人へ果実が入り、上へと向かって、螺旋を描きながら上昇する、そして、頭の中心である松果体の覚醒が起こり次元を上昇することです。
生命の樹は、三本の柱とも表され、その左右に陰陽を表しています。
キリスト教世界、それ以外にもその存在はあります。
人の覚醒は、仏教世界においても同じ構図であることがわかものがあります。
それは、仏像です。
如来もまたその象徴であり、その如来像の左右に陰陽を表す菩薩像があるのです。
これが如来を中心とした三柱であり、その左右の菩薩の名には、片方にだけ日の部首が入っていることからしても、それを表すことが解ります。
薬師如来はとても分かりやすく、薬師如来を中尊とし、日光菩薩を左、月光菩薩が右にあるのです。
これら菩薩の名は、日光と月光となり、陰陽となっていることが分かります。
如来は、ハスの上に座り、頭部からは後光をさしています。ハスは入れ物であり、頭部からに後光は覚醒を表すもので、額の白毫相は、第三の眼です。
如来とは「真理を悟ったもの」という意味であり、仏教の目標となる「悟りを開いた状態」。仏教徒は、如来と同じところへ行くために修行をし、如来は仏教徒のお手本となっています。
如来とはお手本であり、それを見て、自身で覚醒に至れとの意味であるのです。
悟りの境地は、無であり、無とは物質から離れた精神世界を指すものとすれば、無へと至る仏の教えは、やはり、人間の覚醒を示すのだと解釈できます。
僧侶の坊主頭また覚醒を表すのものであり、修行を終え、仏へと近づく事を現すのであります。
生命の樹は、古代シュメールで生まれ、それが、メソポタミア、バビロンとなり、東西に伝わっていきました。
メソポタミアとは、現在のイラン、イラクであり、イランとは、ペルシャです。
東へ向かったシュメール文系は、アーリアとなり、インドゥそして仏教へと伝わります。
西へは、エルサレムへと向かい、キリスト教へと変わりました。
シュメール神話では、エンキとエンリルによって人が作られ、人に知恵を与えたのは、エンキです。
エンリルによって、人々が大洪水で殺されそうになり、それをエンキは、方舟に乗せて助けたのです。
このシュメールの創世記と、キリスト教の創世記と大きく一致するのは、元々は、シュメールから伝わったものであるを示しているのだと、推察することができます。
キリスト教となった生命の樹は、セフィロトの樹となり。
生命の樹を模したものが十字架、十字架は人。それは、イエスが覚醒してキリストのとなた事を示しめしているのです。
イエズス会の宣教師であり奴隷商人のフランスシコ・ザビエルの頭は、剥げているのではなく、剃っているのであり、その意味は覚醒なのです。
同じような構図を持つ仏像も同じでした。仏は、人の覚醒のお手本です。
そして、キリストもまた覚醒へのお手本なのです。
エジプトにもアンクがあります。
アンクとは、現世と来世の間にある「境界」を無事に越えるための、通行証であるとされるもので、来世とは彼岸であり、あの世です。
つまりは、神の世界へ行くことを示すもので、人の覚醒です。
アンクは、覚醒であり、やはりその形は生命の樹と同じ物を模っていることはすぐに分かるのです。
人の覚醒が神へと至る道であると解釈して、神道とすれば、それもまた生命の樹と同じものでした。
出雲大社や、伊勢神宮には、心の御柱があります。それもまた三本柱なのです。
正面から見た構造は、生命の樹であり、発掘された、古代の出雲大社のその上から見たときの柱の位置は、申の字になっているのが解ります。
これが、生命の樹と同じものを現しているのです。
かつて、出雲大社には、蛇神がいました。
出雲大社の蛇神を見てください。三宝の上に蜷局を巻いた蛇があります。
この構図は鏡餅です。
鏡餅とは、白蛇を模したものであり、三宝に白い餅と果実です。これは、戸愚呂を巻いた白蛇が果実を持った構図であり、まさにエデンの出来事そのままです。
他にもあります。
神社へ参拝をするとき、鳥居から入ると狛犬があります。
左右の狛犬は、阿吽といい、片方は、口を閉じ、片方は、口を開けており、その口にあるものは、珠です。
阿吽とは、「あ」から「ん」の言霊をあらわし、物事の真理です。
「あ」の陽、「ん」の陰であり、陰陽をあらわしているのです。
神社が神域、エデンであり、狛犬が二本の柱であるならば、柱は蛇です。その狛犬の口にある珠は果実、珠を咥えた狛犬は、果実を咥えた蛇だということになり、これらは、まさしくエデンの再現であり、人の覚醒です。
勾玉、剣、鏡の三種の神器もまた同じです。玉は果実、剣は幹である人。鏡が入れ物であり、人の覚醒に必要なものです。
神社の御神体は、鏡もしくは三種の神器の入った箱であります、ですが、実際には箱の中には恐らく何も入っていません。
つまりは、これら三種の神器は、自分自身の中にあるものであり、それらを自身で実践することを示しているのです。
人の覚醒とは自身で実践し、神へと至るものであり、仏や十字架がそのお手本であるように、生命の樹は人それぞれの中にあるものです。
よって、三種の神器は自分自身なのです。
鏡餅が何故、「鏡」というのかも、これでわかったと思います。
シュメールの文明が、日本にまで伝わった結果かどうかは、分かりません。
ですが、偶然とは思えない一致がありました。
狛犬の片方は獅子であり、日本にライオンはいません。もちろん中国にもいません。
ライオンの生息地はアフリカからインドであり、そこからの伝来であることは、間違いありません。
これらのことから、生命の樹の伝承が一緒に伝わっていても不思議ではないのかもしれません。
しかし、出雲大社は紀元前の建造物であり、心の御柱の存在は単なる文明の偶然の一致ですませるのでしょうか。
これについて例があります。南米がマヤ、アステカ文明です。
南米は、イエズス会の奴隷商人であるコロンブスがアメリカ大陸に到達するまで、ヨーロッパとアフリカにその存在は知られていませんでした。
当然そこにある文明の存在は、知られていません。
そこにピラミッドがありました。
マヤのククルカンのピラミッドです。
このピラミッドには特殊な細工がしてありました。それは、春分と秋分、その日は、特別な日となります。片側から日光があたり、左右の壁面は陰陽と分かれます。そして、正面の上へと昇る階段の縁には、太陽の日差しによって蛇が現れるのです。
この蛇は、ケツコアトル。羽毛の生えた蛇といわれ、この蛇神こそ、人々に火と文明をもたらした神なのです。
羽毛は、翼の存在を暗喩するのであれば、覚醒を比喩しているものであるとの確証を得ます。
アダムスは果実によって覚醒し、人となりました。
知恵の持たないアダムスは、文明を築くことなど出来ない存在でした。
アダムスに知恵を与えたことが、文明のはじまりなのです。その知恵をもたらしたものは蛇であり、同じくマヤに知恵をもたらしたのも蛇だったのです。
此処に奇妙な一致がありました。
そして火の漢字もまた生命の樹を象形しています。左右に柱、まん中に人(十字架)です。
エデンの園の漢字に注目してみます。
園の中に、土、口、衣が存在しています。土は元々、人の象形文字であり、土の人です。
神は土からアダムスを作り、アダムスが知恵の果実を食べたことに気づいた理由は、局部を隠していたからです。つまり、知恵を得たことで衣を纏いました。
園の字は、大きい口は箱、小さな口は果実であり、土の人が果実で服を着るという字となり、箱庭の出来事そのままです。
漢字を作った中国において、最初の人間は伏羲と女媧です。
その姿は蛇の姿です。
さらには、大洪水で死にかけたという神話は、創世記とノアの方舟を彷彿とさせます。
その手に持つものは、コンパスと定規であり、この二つは、文明の建造物に欠かせないものでありました。
最初の建造物とは石です。
コンパスと定規とは、これらを建造するために必要なもので、それは、石屋の道具であり、文明の発達に大きく寄与した発明です。
つまり、コンパスと定規は知恵であり、その知恵の象徴をもつ伏羲と女媧の姿は蛇です。
ここにも奇妙な一致があったのです。
石の建造において、重要なものは、これだけでは在りません。
ピタゴラス定理です。
日本では、古来から三四五さしごと言われるものであり、三平方の定理のことです。
この直角を求める定理の発見が文明の発達に大きく寄与させました。
かつて人型は、あの世で生まれ、覚醒し、人間となり、物質世界で文明を形成しました。
文明の象徴は、知恵であり、物質世界そのもです。
コンパスと定規、火、三四五とは、物質世界を象徴するものであり、物質世界のことであると言えるのです。
三四五と聞けば、ひふみ神示の三四五(みよいず)を直ぐに連想できます。
一二三がエデンの世界であるなら、エデンからの覚醒は、三四五の物質世界です。そうして、現在が三四五であるなら、そこから覚醒した世界とは、やはり、五六七とは神の世界のことです。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4966 【ノアの箱舟、ビール…人間の行動の原型とメソポタミア神話】より
メソポタミア神話の基本を知る(3)大洪水神話のルーツ
鎌田東二鎌田東二京都大学名誉教授
情報・テキスト
世界の神話には大洪水について語られているものが少なくない。現在、もっとも有名なのは『旧約聖書』に出てくる「ノアの箱舟」だろう。だが、世界中の大洪水神話のルーツは、実はメソポタミア神話にあるという。メソポタミア神話が、ユダヤ神話をはじめ世界各地の神話に様々なかたちで伝承され、大きな影響を与えていったのだ。最終話では、ノアの箱舟の物語について解説しながら、神話から見えてくる人間行動の原型に迫る。(全3話中3話)
神話 人間 神 メソポタミア神話 ノア 旧約聖書
≪全文≫
●世界の「大洪水神話」のルーツ…「ノアの箱舟」の原型は?
鎌田 それから、もう一つ、これはどうしても語っておかなければいけないのは、大洪水神話です。
なぜ大洪水神話が重要なのかというと、今、私たちは宇宙に出ていこうという宇宙開発競争の技術開発をしてきたわけです。旧ソ連とアメリカが中心となって、月面着陸なども含めて、1960年代頃から宇宙開発競争がどんどん展開していきました。そして今では、火星移住計画などいうものまで実際にあります。NASAやアメリカなどはそれを強力に推進しています。
その元をなすのは『旧約聖書』の中にある「ノアの箱舟」の話です。人間が神から離反し、さまざまな悪いことを起こすので、神は人間を懲らしめるために大洪水を起こす。神はそのことをノアに告げます。ノアはそれを皆に話しますが、神を信じない人々は、全く信じません。「ノア、おまえ、頭がおかしくなってしまったのではないか。狂ってしまったのではないか」と。
誰も信じないので、ノアは、一人で神に指示された通りの箱舟を造り、さまざまな動物の種になるものをそこに運び入れます。
そうして、みんなから笑いものにされていたノアですが、大雨が降り、大洪水になって、(その箱舟は)40日40夜揺られ続けた後、最後にアララト山に漂着します。そして、新しい世界がノアの子孫で拓かれていく、といった有名な話が『旧約聖書』に出てきます。
川上さんも読んだことがあると思います。
―― はい、ございます。
鎌田 あの話の元は、実はメソポタミア神話なのです。
―― 同じような筋立てなのですか。
鎌田 「ほとんど同じだ」といっていいと思います。『旧約聖書』を信じる方々には非常に厳しい表現になってしまいますが、ある種、神話も影響されているので、ある種のパクリとかコピペのようなものがあるのですね。そして、その「神話要素」は広く伝承され、伝わっていくのです。
ですから、メソポタミア神話のあるものは間違いなくユダヤ神話に引き継がれています。ユダヤ神話の中には、エジプトに元々あった一神教的な要素もある。そして、大洪水神話やエデンの園の物語などは、メソポタミア神話の中に原型がある。つまり、メソポタミア神話体系から引き継いでいるのです。
ウルやウルクといった、(現在のイラクの)バビロニアの地域は、もともとアブラハムが住んでいたところです。彼はメソポタミアのほうからイスラエルのほうへと移動していくのです。その移動経路を考えれば、ユダヤの祖になっているアブラハムは、まさにメソポタミア文化の中にいた人物なので、その文化を元にしながら新しい神の世界を切り拓いていったのでしょう。だから大洪水神話も、そこを移動し、引き継がれたということになります。
―― 今、表(スライド)を先生に見せていただいていますが、これはさまざまな物語で共通して書かれていることになるのですね。
鎌田 はい。いまお話しした『旧約聖書』のノアの箱舟の話は、シュメール版の大洪水神話であるとか、『ギルガメッシュ叙事詩』の中に表現されている洪水の神話であるとか、あるいは他の、粘土板に描かれた神話伝承などを全部総合して考えていくと、共通する要素があります。
1つは、ノアのような役割を果たす人物がいるということです。つまり、救済する力を持った神がいる。救済神は、ユダヤ教の場合、唯一なる神のヤハーヴェです。メソポタミア神話の場合は多神教なので、エンキ(エアとも呼ばれる)という神様がーー水の力を持ち、人間を創造し、神々の中でも最も思慮深い知恵を持つ神様ですがーー救済神になるのです。
そして、救済する神が「これから起こることを注意しておかなくてはならない」とメッセージを発する。そして「船をつくろう」という救済方法を受け取る人間の側が、(メソポタミア神話では)ジウスドゥラなどの色々な人物になっていきます。このジウスドゥラなどの人物に当たるのが、『旧約聖書』ではノアになるわけです。そして、彼らは巨大な舟(ノアがつくった箱舟のようなもの)を造る。そして、その中にハトやツバメなどの鳥や、種子など色々なものを運び入れて、大洪水の後、あるところに漂着します。
たとえば、『ギルガメッシュ叙事詩』ではニムシュというところに漂着する。『旧約聖書』ではアララト山になっています。これはなぜかというと、チグリス川・ユーフラテス川の源流に当たる場所がアララト山脈なので、要するに大洪水を引き起こした最初の原点に漂着したというお話になっているのです。だから、非常によくできています。
そして、この話は『旧約聖書』の場合は、エデンの園の話ともつながっています。『旧約聖書』には、エデンの園の中にチグリス・ユーフラテスとい...