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「第二の家」ブログ|藤沢市の個別指導塾のお話

鎌倉で国語の神様と語り合った日

2018.07.23 15:00


日本文学史に大きな足跡を残した偉大な作家や詩人、評論家などが集い、愛した鎌倉。


僕はその地に、気持ちのいい夜風を感じながら降り立った。


空は暗さを手に入れていたが、駅前は人工的な光に溢れていた。改札を出て広がる光景に、懐かしさとほんのりとした緊張を感じる。


鎌倉へは何度も来たことがあった。修学旅行にはじまり、プライベートでもよく来た。鎌倉の駅へは、北鎌倉の駅から歩いてくることが多いのだが、小町通りや報国寺など近くにお気に入りスポットが多数ある、大好きな場所だ。雰囲気もよく、人もやさしい。いつもここへ来る時は、沢山の楽しみを抱えてくる。ただ、今日の僕はそれに加えて、いつもとは少し違う気持ちも抱えている。


今日僕はここへ、国語の神様に会いに来たのだ。






鶴岡八幡宮から、海へと真っ直ぐに続く道。大変縁起の良さそうなその道の途中に、国語の神様はいる。


すばる進学セミナー』。群星の中で、きらりと光る星のようでありたいという願いが込められた名を持つその塾は、30年以上の歴史を持ち、アットホームな雰囲気の中での最高の授業をもって、鎌倉から羽ばたこうとする子どもたちを日々日々応援し続けている。


その塾で子どもたちに国語を教えているのが、「国語の神様(僕が勝手に呼んでいます)」の中本先生だ。


もうすぐ、そんな国語の神様に会ってお話が聞ける。想像してにやけてしまう。と同時に、緊張感も走る。聞きたいことが沢山ある。ちゃんと聞けるだろうか。失礼なくお話ができるだろうか。


そんな僕の心配を他所に、時計の針は巡り、その時は訪れる。「やぁ」といった感じで爽やかに登場した中本先生は、「さすが鎌倉!」といったオシャレで美味しいお店を既に予約してくださっており、僕らは至福の時間を過ごすこととなる。神の宴。うん、響きがとてつもなく良い。


そうだ。せっかく時計の話をしたから、少し時を遡ろう。それは国語の神様と僕の出会いのお話。別に僕の話など知りたくないよという方もいるとは思うが、ここまで読み進めてくれた読者の方々だ、秘密にして読み進めてくれることを願うばかりである。






僕が国語の神様に出会ったのは、ネットの大海の上であった。


学校情報を探している時に、検索するとやたらと引っ掛かるブログがあった。うちのブログがなかなか出てこないのに、一体どんな人がやっているブログなんだろうと覗いたのが最初だった。


そして、中身を見て、言葉を失った。しばらく失って、ちょっとしてから、怒涛の感想が溢れ出てきた。


「おお、個々の学校の情報すごく詳しい!」「同じレベルの学校の対比がすごい!」「まず文章がやばい!」「本の話も面白い!」「とにかく素晴らしい!」


全体的に僕の語彙がやばくて伝わるかどうか微妙だが、すごいよって感じは伝わったかと思う。伝わらない場合はぜひ直にそのブログを見て欲しい。


そのブログが『受験を越えて』だ。


圧倒的な情報量と文章の面白さ。僕は衝撃を受け、すぐさまお気に入りに登録した。それ以来、更新がないのにブログを開くこともしばしば。ファンである。


そんな憧れの国語の神様に、この春、なんと会える機会がやってきたのだ。それが『教材活用研究会』の場。偉大な塾人たちが集う場で、僕は神様に出会った。実はその前の週に日藤の説明会で出会っていたのだけど、内緒である。


(実は二度目だけど)出会ったその日も、もう貯まりに貯まっていた質問を次から次へとぶつけさせていただいた。答えにくいような質問もあったにもかかわらず、全て快く答えてくださった。すごい方って、みんながみんな心広いんだよなぁ。


でも、まだまだ聞きたいことが沢山あって、神様はそれを見抜いたかの如く、「ちょっと飲み行こうよ」と誘ってくださった。即飛びついた。場所が地の果てでも向かう所存である。


かくして、鎌倉の夜の神の宴が開催される運びとなったのだ。






僕は問う。


国語とは。その教え方とは。経営とは。好きな本は。その理由は。ライバルは。気になる塾は。これからやりたいことは。これまでの人生は。


そのすべてに、神様は躊躇なく答えてくださった。惜しげもなく秘伝の技も教えてくださった。それはそれは明瞭に、時にはウィットに富んだ返しを散りばめながら、真剣に、しっかりと話をしてくださった。


真夜中が過ぎる頃までお付き合いいただき、本当にいっぱいの貴重な気付きと学び、そして心に灯る火を頂戴することができた。


もう、感謝である。感謝感激雨あられ、は世代ではないが、語感としてはそんな感じである。どうかこの感謝の想いが、伝わってほしい。


そして、宴のさなか、思わず泣きそうになったのは、先生の子どもたちへの想いを伺ったときだ。自身の辛い体験を踏まえて、一教育者として、どう子どもたちへ向き合えばいいかという御考えに触れたとき。


大人はさ、やっぱり子どもたちにとって、「格好いいな」「すごいな」って存在じゃなくちゃね。


もうその通りだと思う。こんな大人が近くにいる子どもは、幸せだなぁ。その想いと同時に、そうであるために成長を止めない国語の神様、中本先生の姿勢に感銘を受けました。


神様は、確かにそこにいた。


いっぱいの想いと、揺るぎない実力と、だけど慢心しない心を持って、鎌倉の地で子どもたちを見守っていた。


そして今日も、大きな愛と、確かな理論と文学を楽しむ気持ちを持って、多くの子どもたちに国語の素晴らしさと成長を授けていることだろう。






鎌倉からの帰り道。以前にどこかで聞いた、こんな逸話を思い出した。


主人公は、神様である。その神様は、もう本当すごい力を持っている。全知全能で、何でもできる。だからその力を、人間たちのために使おうとするのだけれど、数が多すぎて追いつかない。目の前の人間を救うので精一杯。どうしても救えない人が出てくる。人間たちの世界では日々日々いろんな事が起こる。その中で、なるべく多くの人を救おうと奮闘する神様。でも、すべてを救えるわけではない。葛藤が続き、神様の手は止まってしまう。全員を救えない神様は、救うこと自体をやめてしまった。


最近、今回ご紹介させていただいた中本先生をはじめ、「すごい!神か!」と心から思えるような素晴らしい先生たちとの出会いが続いている。


ブログやツイッターなどで、そんな先生方が全国各地にいらっしゃることも知っている。塾の先生に限らず、学校やお家や会社や世界のいろんな場所にいろんな素敵な大人がいることも。


すごい大人は、格好いい大人は、世の中にいっぱいいる。でも、さっきの神様の例のように、彼らにも力及ばない場所があるかもしれない。そんな格好いい大人たちに、なかなか出会えない子どもが、いるかもしれない。


だから、そんな格好いい大人が、一人でも増えるように。


僕も頑張ろう。自分がそんな大人になれるように。折角近くにいてくださる、つながってくださるそんな素晴らしい大人たちから、刺激と学びを受け取って、成長しよう。少しでも近付けるように。嘘でも負けないぞって、胸を張って肩を並べて教育のお話ができるように。


すべては、これからの世界を作る子どもたちのために。


というわけで、順次このブログでもお会いできた「カッコイイ大人たち」をご紹介させていただきますね。お楽しみに。神奈川にも、全国にも、もう本当にいっぱい居るからね。カッコイイ大人たち。


本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。

そして、国語の神様が書いた小説も読ませていただきました。もう圧巻。詳しくは控えますが、次回作にも期待です(笑)