「宇田川源流」【日本万歳!】 日本のW杯ロッカーが「フェアプレー賞」に
「宇田川源流」【日本万歳!】 日本のW杯ロッカーが「フェアプレー賞」に
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本人を称賛している記事などを見つけ、その内容を皆さんに紹介し、そのうえで、皆さんの毎日の行動に、日本人としての誇りを持っていただくということを目的にして、記事の連載を行っている。
日本人のすばらしさというのはいったい何であろうかということを考えたことがあるだろうか。実際に、様々なところがあげられると思うであろう。「規律の正しさ」や「まじめさ」「勤勉さ」などから「やさしさ」なども挙げられる。もちろんこのようなことを書くと、「そうはない」という例を挙げて反論する人がいるが、逆に、わざわざ希少な例を挙げて反論しなければならないほど、そのような特性がしっかりと日本人の中に根付いているということになるのではないか。ここに書いたような中で「箸にも棒にも掛からぬ」というような特性を挙げているとすれば、そのような例を挙げるまでもなく、特性の中にはないというようなことになり、多くの人から反論が来るに違いないのであるが、そのようなことにはなっていないのである。
さて、そのような特性もあるが、あえて今回は「清潔さ」ということと「日本人の同じレベルである」というようなことを挙げてみたいと思う。
日本人のすばらしさの中に「清潔さ」を入れることは特にそうではないというように思う人も少なくないのかもしれない。しかし、本当に日本は海外のどの都市に比べても清潔であるという気がする。もちろん清潔であるということは「水がきれい」ということもあるし「きれい好き」という性質もあるのではないかという気がしないでもない。しかし、そのような特性が、同時に「同じような価値観を持っている日本人が多い」ということがあげられるのではないか。
その最たる例が、日本のワールドカップなどでのサッカーのロッカーそして観客のマナーではないか。
日本代表の“美ロッカー”、イタリアでフェアプレー賞 現地称賛「世界で最も礼儀正しい」
日本代表はこれまで国際大会に参加時、ロッカールームを掃除して綺麗な状態にしてスタジアムをあとにすることが話題になってきた。
今回、イタリアでは昨年のカタール・ワールドカップ(W杯)におけるその行動が、「フェアプレー賞」を受賞したとイタリア紙「コリエレ・デロ・スポルト」が報じている。
そのアワードはラパッロ・ゴルフ&テニス・クラブで開催された「第17回スポーツと音楽の会議」というものだという。そこに在イタリアの日本大使館が招待を受け、表彰の盾とトロフィーを受け取っている写真が掲載されている。
レポートでは「世界で最も 『礼儀正しい』日本代表。そしてイタリアはそれを表彰する。ラパッロでは、2022年カタールW杯でロッカールームの秩序を教えたサッカー日本代表にフェアプレー賞が贈られた」とされた。
カタールW杯では、試合後のロッカールームの様子を国際サッカー連盟(FIFA)がSNSに投稿したことで世界的に話題を呼んだ。日本代表の出場する国際大会では、サポーターが試合後にスタジアムのごみ拾いをして帰る姿なども話題になってきたが、こうした「立つ鳥跡を濁さず」の文化はイタリアでも賞賛を受けているようだ。(FOOTBALL ZONE編集部)
2023年7月16日 19時30分 FOOTBALL ZONE
https://news.livedoor.com/article/detail/24622634/
日本人はなぜ清潔なのかということを考えたことがある。どこかの神社の機関紙のコラムであったが、「日本の神様は非常に清潔好きであり、そもそも清潔でなければ供え物を受け付けないし、禊をして、お祓いをした後でなければ神事が始まらない」」ということが書いてあった。実際に、我々は、コロナウイスウル禍の時は別にして、そうでなければ、神社にお参りするときにはまずは手を洗い、口を漱いで身をきれいにしてからお参りをする。もちろん小さいころに習っているのであるが、そのような習慣になっているということが重要なのである。外国人などであっても「掃除をすること」「清潔に保つこと」などは、一度は習っているに違いないが、それが習慣化していないので、汚い状態になってしまうのではないか。
さて、それが「当然にあとで掃除をしてくれる」人々であるはずのサッカー選手がそのロッカーをを掃除し、そのうえ折り鶴までおいて感謝のメッセージを残していたらどうであろうか。もちろん掃除をする人はそのような状態であっても掃除をするのであろうし、また、もしかしたら日本の選手がやったことでは不十分であったのかもしれない(ワールドカップの掃除の基準がわからないので何とも言いようがない)。しかし、その内容に関して、「掃除をする人の身になって考える」ということと、「次の人のために、きれいに使う」ということ、つまり、すでに使っているときから「掃除をすることなどを考えてきれいに使う」ということが習慣づいているのではないか。
同時に、それが一部の人がやったというのではなく、選手全体が、つまり日本の代表がチームとして、そのような状況になっていたということが最も素晴らしいこと、つまり「日本人のレベルが同じ」であるということなのである。傑出した一人がすべてをやっているのではなく、そのチーム全体が行っているということが、もうひとつの素晴らしさではないか。
もちろん中には掃除が苦手な人もいるであろうし、また、さぼっている人などもいたかもしれない(いないと信じてはいるが)。しかし、チームトータルで、もしもそのような人がいたとしても、それを他の人がフォローして、全体としてきれいにするということが最も素晴らしいのではないかと思うのである。そしてそのようなことが意思疎通でき、チーム全体でできるということが日本のすばらしさであり、同時にその強さなのである。
イタリアは、そのことをわかっていて「フェアプレー賞」を出した。もちろんそのことを評価できる力も重要である。その素晴らしさの「価値がわかる」ということは、何事であっても重要なのではないか。同時に、そのフェアプレーが、選手同士またはサッカーの試合という意味ではなく「サッカーを作り出す人、かかわった人すべての中でのフェアプレーである」ということを評価してくれているということを信じるところである。
世界で最も 『礼儀正しい』日本代表。そしてイタリアはそれを表彰する。ラパッロでは、2022年カタールW杯でロッカールームの秩序を教えたサッカー日本代表にフェアプレー賞が贈られた」<上記より抜粋>
日本のすばらしさよりも、日本のサッカーの強さは、このようなところから生まれているのである。