数列から見える執念。
学習をうまく運んでいくために、最も根本的に
必要なことは、執念のような切迫感です。
賢そうな感じで、
「何かある気がする。」と
口だけ動かす生徒もいますが、
結局頭も筆も止まったままです。
結局は手を動かして知識を得て、法則を掴み、
それを喜びとするような人間に
勝ることはないのです。
「2,6,10,14・・・
この数列の100番目は何か?」
この問題を出した時に、すぐに子どもの
所作から、普段何を考えて問題を解いているか、
そういうことが見えてきます。
即座に最後まで足して考える子。
こういう子の執念深さはすごいです。
さらにいえば、100回足しても一つも
計算ミスなく答えにたどり着く子もいます。
私は実はそういう子はめちゃくちゃすごいと思います。
かつて佐賀県TOPを取った子が、やはり同様に
初期の頃は等差数列をそうやって考えたと言っていました。
まずは答えにたどり着くための道筋を追ってみて、
そこから法則を掴んで楽をしてみよう、と
頭がそういう風に初めからなっていたのです。
そうこうしていく中で法則を発見して
どんどん作業を省力化していきます。
”99回4を足せばいい”
つまり、
"4×99=396を元の2に足せばいい"
初見問題の数列を前に、まず絶対に
そうやればうまく行く方法を実践し、
苦労の果てにそういう思考にたどり着く子は
実は本当に賢い子だと思っています。
これから先の学習のためにとても重要なことなのですが、
まずは絶対に地道にやっていけば考えられる方法を
出発点とすることです。和差算や分配算、
つるかめ算や差集め算なども、方法を先行させる学習は
”解き方忘れた”につながることもあります。
そんなのは、算数ではありません。
これらは表整理で無理やり答えに到達することが可能です。
そして、それら全てに”省力化”の道筋があり、
そこを考えていくというのが中学受験の醍醐味であり、
私が4年生指導で最も経験してほしいことです。
「賢そうな顔してないで、がむしゃらにまずは
答えまで到達してみなさい。」
そうやって初めて、法則化された解き方が
いかに面白いかということに気付くのです。
解けない問題、というのは、現時点では大抵
存在はしません。なんらかの方法を駆使して
無理やりひっくり返して解くようなことが
まだ可能な学年であり、その学年特有の努力によって
法則化の道筋までを楽しめるという、
実に特異な経験をしていると思います。
今だからこそできる無茶、がむしゃら、
それをひっくり返す法則の発見と喜び、
全部を是非この短い1年で楽しんでほしいです。