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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

小説 op.5-03《シュニトケ、その色彩》下 ④…オイディプス王

2018.07.23 23:24









色彩 下

…オイディプス王









Oἰδίπoυς τύραννoς









泣きじゃくった Trang と Mỹ にもみくちゃにされながら、Uyên の母親は彼女たちの頭を撫ぜてやり、どうだった?と言った Âu に、綺麗だった、と Mỹ は答えた。二人の少女を、Khoaと Âu はテーブルを囲み、Khoa に Uyên の死に顔を見る勇気は無かった。Khoa はまるで彼女たちを誘惑しようとするかのように、水を汲んでやって、奉仕した。繊細な男だった。神経質に、伏目がちな眉を常に上下させた。死に顔くらい見ればよかったと Âu は思った。テーブルの上にしかれた白いシーツを葉々から漏れ出した光が斑に差す。









Trang が日本人を連れ込んだことは知っている。日本人がいない平日の昼間に、時に昼寝する Âu と Mỹ の間に滑り込み、寝た振りをした Âu に気まぐれな愛撫をくれる。時には彼女を抱いてやりながら、確かにあの日本人は美しかった。長い名前のために、誰にも本名を覚えきれずに、単純に縮めて Ma とだけ呼ばれる彼の美しさが日本人と言う人種の美しさを証明するわけではないが、ベトナム人の美しさには無い特異な美しさであるのは事実だった。人種的な差異を感じさせられ、それは、屈辱的な体験ではあった。と同時に、日本人にも美しさが存在することに驚いた。町でたまに見かける日本人たちは、誰もが老いさらばえていて、力なく、うなだれているばかりだった。薄っぺらい存在感に必死に威厳を作ろうとする無理が透けて見えた。いずれにしても、それは、老人たちの国に違いなかった。Trang が不幸になるのは目に見えていた。あの男が Trang をなど永遠に愛するわけがなく、日本に Trang の居場所などありえない気がした。わがままな Trang が Mỹ が彼に求めた愛撫を横取りするように彼の唇を奪って、体を摺り寄せる。Âu はすべてを知っていた。Uyên という少年が存在していたことなど最早誰もが忘れてしまっていたに違いに数ヵ月後に、夏の日差しが彼の肌にじかに触れる。バイクを走らせる。風景が視界の中で速度を持つ。行き違う風が光の直射から火照りを奪って、温度だけを皮膚に刻む。Ngọc ゴック といつか会った海沿いのカフェに行った。あの男はまだそこに居る予感があった。バイクを止めて、中に入ると、大学生たちと、その対角線上に韓国人たちがたむろしていた。目の前を白人の夫婦が通り過ぎた、何を言っているのかはわからなかったが、それがフランス語だということは分かった。奥の日の当たらない席に座って、人を呼ぶと、自分よりは年上だが若いには違いない女が注文をとった。その男の名前はまだ知らなかった。時間を潰し、何度か目にバイクの音に顔を上げたとき、その男が帰ってきたのを見つけた。前より若くなった気がした。気のせいかも知れなかった。奥の誰かに笑いかけながら通り過ぎようとする男を呼び止めた。男は自分のことなど覚えてさえ居なかった。あるいは、あの日、自分が彼と会ったようには、彼とは会わなかったのかも知れなかった。一度奥に入って買い物袋を渡し、戻ってきた彼に妹たちの写真を見せた。綺麗だね、と言い、双子か、と尋ね、お前の恋人か、とからかった。目の前の向かいに座っている男の顔を見ながら、どうして彼は、あるいはこの場に居て自分たちを視界に納めたはずの人々は気付かないのか訝った。Trang は Mỹ に似ているが Thiên にも Tuyệt にも似ていない。Âu は Hiều には似ているが Hà にも Thiên にも Tuyệt にも Duy にも似ていない。Trang は Âu に似ていて、Âu は Mỹ に似ている。スマホを手繰って両親たちの写真を見せたとき、やっと Hiều は彼の言いたいことを了解した。Âu を見詰め、お前の両親か?尋ねた彼に、Âu は教えてください、と言った。すべてを教えてください、といい、彼がそれでも嘘をつくなら、本当のことを全て Âu 自身が彼に教えてやるつもりだった。まだ Hiều に何も告白されていない彼はまだ何も知らなかったが、すでに Âu はすべて知っていた。貧しく、能無しの Hiều は親戚を頼って、その経営しているカフェに住み込んで面倒をみさせていた。Hiềuは懐かしそうな顔さえ見せずに Âu を見詰めた。声を立てながら Trang が Mỹ をからかう。つかんだ自分の髪の毛の先で Mỹ の鼻先をくすぐり、まじめ腐った Mỹ の表情を嘲笑う。Uyên の葬儀のとき、花々が埋め尽くして見えなくなった Uyên の死体を棺のガラスごしに覗き込んだときに、神々は結局なにものをも救いはしない実感が、彼女の背筋に素手で触れた。確かにそうに違いない。何もかにもが救われ獲るなら、この世界が存在する意味など無かった。世界が存在すると言うことは、何も救われ獲ず、何も救われたことなど無かったということだ。花を育てることが好きだった Trang は庭のいたるところを花で埋め尽くした。蝶と虫が舞い、水をまくたびに湿気が低い空間をたゆたった。猫が庭を疾走して、立ち止まって耳を澄ます。しっぽが空間を撫ぜて、何かを、その体内の中に律動させていた。









Trang が墓地から持ち帰った紫色の花を庭に巻いたとき、Duy も Hà も嫌がった。Trang はそれで庭中を埋め尽くしてみたかった。くねった細くしなやかながらに強靭な細い茎が縦横に空間を走り、腰の高さにまでも違って、ぎざぎざの、決して美しくは無い、確かにある種の野生のまがまがしさを感じさせる葉が生い茂る。その間に草がはやした男性器のような長い突起がいびつにくねりながらのびて、その突起に段々と小さな紫色のはかない花が一つか二つだけ咲く。それらは束なって、空間に緑と紫を無数に点在させる。美しくは無かったが、はかなく、にも拘らず強靭さを湛え、いびつなまがまがしさが空間の中に異物化し、結局のところ、その色彩は綺麗だった。その感性を受け居られなかったとしても、なんの後悔もない難解さがあったが、それは眼差しに触れるだけで、誰も説くべき必要もなく、単純に素朴な野生の花が咲いているに過ぎない。裏道の、コンクリート舗装されただけの粗い路面に日が当たる。砂交じりの白い土くれがその上を斑に汚して、それらに色彩を与えているその根拠に他ならないはずの光の直射した焦点に、色彩は消滅して白濁した閃光に過ぎない。光には匂いがある気がする。まだらに灼けた干し草のような粗雑な匂いが、かすかに。Âu に呼び出された Trang が、彼らの家の前を通り過ぎると、Trang は中に、数人のいつも見かける客がたむろしていて、カード賭博に興じているのを確認する。奥で、Âu は確かに彼女の姿をその眼差しに捉えた。Âu に目線さえ投げかけない Trang は、白目と黒目の境目に彼の姿の気配を捕らえた。Âu は仏壇の前の木製の椅子から身を起こして、立ち上がり、Mỹ は二階で昼寝していた。彼女に自分たちの出生を告白する気はなかった。それは例えば Trang がするべきだとさえ思う。彼と Mỹ は近すぎた気がした。サンダルを地面にこする背後の雑音が Âu のそれであるには違いなく Ma とまだ出会っているわけでもない Trang にとって、彼女が知っているただ一人の男の匂いが周囲から立つ。日差しが直射して、こんな時間を経験するだろうことなど、予測もしなかったことに気付く。まぶたに光が差す。海の匂いなどしない。空気が湿っている。海辺の町にしかない湿度だということを Trang は知っている。Trang は振りかって何を言うべきか言葉を捜してみた。湿気てくぐもった空気がアオヤイと腹部の間のわずかな空間を澱んだままゆらいだ。細い路地に入って、雑な土の道のでこぼこをサンダルの上で皮膚は感じる。迫った家屋の白い壁面がしざしを反射して、視界をかすかに白濁させるが、その向こうの空の色彩は重ったるほどに青い。大通りに出た瞬間に、交通量の多い主管道路の騒音が飛び込んできて、いつの間にか踏み越えてしまった境界の痕跡を探す。目を細めた眼差しが光の中で焦点を調節し、隔てるものの無い空間に光はじかに彼らの皮膚に触れた。自分たちの足音が空間の一番底部から聞こえてきて、Trang は向こうにドラゴンブリッジを見る。空に差された鉄骨の黄色い塗装が光の複雑な反射に色彩を喪失する。まるで、その龍の貌は犬にしか見えない、と Miễn ミエン は言った。丸顔の小柄な Miễn は日本へ留学した。四歳も年上だったが、日本語学校で知り合った。フェイスブックで彼女が今東京で働いているのは知っていた。何度かメッセンジャーでやり取りした。川べりの、橋の下の日陰に逃げこんだ瞬間に Trang の肩を Âu  を押さえたが、身じろぎして拒絶しようとする Trang のいい加減でわがままな媚態に Âu はうんざりした。Linh リン という女が彼女たちの母親だと Âu は言った。彼女は子どもを一人抱えて離婚したばかりだった。両親は死んでいて、家族との折り合いは良くなかった。Hiều という名の男がその男だ、と言い、スマホの画像を見せたが、Trang は表情一つ代えもせず、その瞬間に Trang が知ったのは自分が父親を殺してしまった事実だった。前夫の名前は Thiên ティエン だった。離婚した理由は Linh に新しい男ができたからだった。Thiên との間にいつまでも子どもができないのが不満だった。Hiều とは Thiên の妻だった頃から付き合っていた。最初の子ども彼が生ませた子どもだった。その子どもは俺だ。言った Âu を振り向きみて、Trang はお母さんは?言ったが、死んだ、という Âu の言葉を信じることはできなかった。そんなにた易く人間は死なない。惨めなくらいに生き延びて、力尽きて、未練たらたらで穢らしく死んで行く。筋弛緩症が Linh を蝕んだ。頭が悪くなったのだ、と Âu は説明した。まるで自分で飛び込むように。ダラットを降りた高山の崖をまわった道路からバイクごと飛び降りた、そう言う Âu に、けれども、と、自殺かも知れない、あなたは、事故かもしれない、と、それを見ていない。それは分からない、と、言った Âu に Trang はうなづく。みんな知っているのかと言う Trang に Thiên も知らないはずだと答えるが、本当のことはまだ彼自身は知らないことに自分自身、やっと気付いた。父親に会いたいかと言う Âu に、会ってどうするのか、何ができるのかとややあって返答をくれた伏目の Trang に、確かにそれは必ずしも彼ら自身には関係しない他人たちの問題だという気がしたが、お前はどう思う?あの日すべてを白状し乍ら Hiều は言って、Âu の顔を何度も伺い見たが、彼に答えるすべはなく、びっくりした、としか言えない。半部以上、自分の返事が嘘であることさえ Âu は自分で知っていた。確信し乍ら Hiều を問い詰め、告白させたのは Âu 自身だったのだから。半分以上、Hiều の告白は嘘とでたらめにまみれている気がした。彼の語る Linh の美しく清楚な印象と、Thiên たちが語った乞食の Linh の印象との間には信じられないほどの遠い隔たりがあった。いずれにしても Âu の目の前の Hiều は結局のところ敗残した人間にすぎなかった。自分の娘のような女たちに顎で使われ、そのたびに媚びた笑みを浮かべた。今は楽しんでいる、と、彼は Âu に言い、何を?人生を。Âu は一瞬、ダラット近くの高山の町で、彼らが繰り広げたと彼自身が語った悲恋の物語をふたたび追想したことに気付いた。理不尽なほどに誰も自分たちの味方はしなかったと言う Hiều は、にも拘らず今は誰も恨んではいない。世界中を敵に回した気がした。Thiên は朝から晩まで金、金、金で、心らしい心さえ持っては居ないその Thiên に虐待される気の弱い優しい Linh を誰もが馬鹿者だと言った。ほしがっていた子どもさえ Linh に妊娠させられなかったのは Thiên の責任だということを、Linh は無言の内に証明したかったのかも知れない。初めて彼女を抱いたとき、Hiều は彼女がだれにもふれられてさえいない気がした。その実感が、彼女の誘いに乗った彼の後悔を寧ろ忘却させた。自分が犯した罪など、実際には始めから存在しなかった気がした。姦通を告白したのは Linh のほうだった。二回目の妊娠を彼女が確認したときに、Linh は Thiên に事実を告白した。そんな事は誰もが知っていたはずだったと Hiều は思う。Thiên は Linh に手を出してさえいなかったではないか。自分が手をつけてもいない女が妊娠したことを Thiên はどの面を下げてあんなにも喜び、溺愛したのか、そのこころの内が Hiều には理解できなかった。Âu を奪われた Linh は衰弱し、子どもなど生めはしないと誰もがうわさした。独りで市場に買い手のつかない雑貨を並べた。Thiên がそれでも彼女にいくらかの資金援助をしているらしいことは Linh に聞いた。Hiều 自身にできることは何もなかった。若い十八歳の Hiều に五歳年上の彼女をすくってやる手立てはなく、彼の両親は半ば彼を監禁しさえして、息苦しい毎日の中で、Hiều は自分のしたすべてを後悔すると同時に、Linh のことを許した。彼女にとって、唯一優しくしてくれた彼を愛するのは為すすべもない自然な感情で、Hiều としては彼女を受け入れる以外に為すすべもなかった。生まれた子どもが双子だったということと、Linh が朝から晩まで吐いてばかりいるということを聞かされたとき、Hiều はニャチャンの親戚のホテルを手伝わされていた。ことの始末が付くまではダラットに帰ることはできなかった。ビルに邪魔されて見えない向こうの山脈にかかった雲の上のあの朝霧に包まれる町で、病んでいく Linh を思った。筋弛緩症の、時に自由が効かなくなる手でバイクに乗って、うねった道路を崖に突っ切ったとき、Linh が見た風景はどんなものだったのか、翻った足の下にコーヒーの葉の無数の広がりを見たのか、頭の下に松の樹木の空を穢してやろうと企んだかのような、暴力的な侵略の群れを見いだしたのか。Hiều はダラットを降りるとき、周囲の岩石のあたまの遥か上にまで広がった、鋭角の抽象的な色彩の連なりを見上げた。斑な色彩が美しいとも穢らしいともいえない無機質な傍若無人さでそれ自らを曝し、草花が彼らをしずかに侵食していた。食いちぎられて砂化されられながら、そして夥しい草花は小さな花々を点在させる。