因果律
因果律…因果の法則…因果応報…カルマの法則…原因と結果の法則。
以上の摂理にはこのように様々な呼び名がある。
(ここでは因果律で統一する)
因果律とは大霊が定めた一切過ちのない完璧な自然法則。
何事も原因があって結果が生じる。
⇒目の前に突きつけられた結果は、その者が創造した原因によって顕在したのです。
善果も悪果も……。
因果律から逃れられる者、無視される者、対象外となる者、そんな人間は一人としていません。
善人にも悪人にも、身分の高い者にも低い者にも、権力者にも犯罪者にも平等に降り注ぐ英知なのです。
因果律は宗教団体の思想でも人間が考えた現象でもありません。
劣化も故障もしない。新旧もない。
真理であるがゆえに100%機能する不変で不滅の摂理。
因果律はどんなに小さな因でもそれ相応の結果が現れます。
世のタメ人のタメになるような善因を積めば善果がでるのです。
逆に、利己的な悪いことをすれば悪い結果が当然もたらされるのです。
⇒悪因を積んだ者が窮地に立ったとき、いくら必死になって神仏に助けを求めても到底叶わぬ願い。
悪さをしたため→絶望の淵に立たされる……。因果律の方式が作用している証。
因みに、現世で犯した罪の償いを現世(生きている最中)で償うとは限りません。
霊界に赴いてから因果律の結果が生じることもあるのです。
摂理の働きを地上界の現実に照らして判断することは間違っている。
地上界での人間生活は永遠に進化を続ける魂からすれば、ほんの束の間の期間。
例えその間に精算されなくとも、永遠の進化の途中に必ず結果がでます。
良い事をすれば、その分の恩恵を受けられる。
悪い事をすれば、それだけの報いを受けなければならない。
⇒こんな当たり前の真実に人類は気づいていないのです。
基礎中の基礎だからこそ忘れてしまい、因果律に反する行為をしてしまうのではないだろうか?
当たり前の法則を守れないから、宗教家やスピリチュアリストが民衆に発信するのだ。
霊界の道具となって、真理に飢え、人生に絶望して己の命にピリオドを打とうとする人たちを救済す
るのです。
●——本日より悪因を積むことなく、大我の精神で善因を積むのです。
それによって己の霊性は進化し、悲しみに暮れる者を助け、類魂の階層が上昇し、地上天国化にまた一歩近づくことでしょう。
日々是好日