『違い』についての考察
↑↑↑というタイトルにしよう、と決めて、なんか無性に「わたしって考察好きだな」と思いました。
たぶん、いやきっと、わたしと何回か話したことがある人なら誰もが頭がちぎれるくらい頷くだろうと思う(笑)
直感で動く、とかインスピレーションがうんたらいう割には、とりあえず、考察したいんですよねー。
※考察する必要が無いときはしません※
つまり、【考察】したいときというのは、違いを明確にしたい時だったり、自分の中ではしっくりこなかったり、しっくりきても「そういう見方もあるんや!」と感動して、「ならほかにも何かあるかも」と関連してどんどん思考を広げたいとき、エトセトラ。
つまり、わたしは「思考」で遊んでいるのです。
または、「思考」を使って自分と会話している。
ちなみに、今日は後者のパターンでほぼ一日終わりました(汗) 身体は動いたり移動したりしながらだったのが救いなような(;∀;)
そんなわたしが今日描いた曼荼羅はこちら。
『違い』とは、個を認識するためにはものすごく大切なことだし、【違う】からこそ、広がる世界がある。
でも、【違う】から分かり合えないという悲しみを味わうこともある。
※分かり合えないことを悲しいと感じる場合
【違う】から楽しいときもある。
これって、実は【違う】以外にも何にでも当てはまったりして・・・と脳を回転させていくと、立派な思考の世界に入っていって、しばらく帰ってこないわけです(笑)
で、わたしはそれを『考察』と呼んでいる、と。
なんか、結構根暗な感じですね(T_T)
まあでも人は好きだけど基本インドアなんでこんなものかな?←偏見の塊な発言(苦笑)
あ、思考実験の本とか、〇〇大学の入試問題とか、大好物です💓
でもこれ(思考で遊ぶこと)あんまりやりすぎると他人との会話とかが成立しなくなるから大変なので、オススメはしないです。出口のない迷路に自分からずんずんずんずん分け入ってく感じになるので・・・。
ただ、自分だけだったらバランスが取れてる(と思える)ものも、他人がいることでアンバランスであることに気付けたりするし、自分がアンバランスな存在であると気付くことで世界のバランスが保たれてることに気づけたりもする。自分も、世界の1部だとわかるようになる。
とまあ、こんな感じです。
名言を避けている訳では決してないんだけど、とり方によっては有耶無耶にしているみたいな感じ。
そうそう、そうなんですー!
ここまで書いてきて(読んでもらって)やっとこれを話すに至りましたが、わたしは、こうやって【A】と【B】を混ぜこぜにするというか、「結局どっちやねん!」的なというか、めちゃくちゃよく言うと「禅問答」的な話し方を良くするんですよね。
※たまに突っ込まれます
これって、自分の頭の中がだだ漏れていただけだったんだ・・・なんかよくわからないけどショック( ̄▽ ̄;)
でもほんと、人と話す時にこれを始めると(会話の内容についてバランスを取り始めると)、会話が一向に進まないので、なるべく気をつけよう。。。できるかな。。。
とまあ、今日はこんな話でした。
わたしはかなりアンバランスですよ、っていう話でした!(笑)
おしまい。