7月の会~自由、平等、友愛~
すっかりブログが遅くなってしまいました。
会から2週間も経ってやっとまとめを書いています。
これもワールドカップと暑い夏のせい。
今夜こそ書こうと思うのにサッカーと暑さのせいで寝てしまう!朝起きれない!
さて、今回はシュタイナーが提唱する「自由」「平等」「友愛」の概念について。
前回学んだように、子どもは成長とともに関わる社会が変化していきます。
家庭、保育園、幼稚園、友達、学校、地域社会、友達、習い事…。
大人になれば、職場や国、世間、グローバル社会(世界)、地球まで社会は広がっていきます。
シュタイナーが提唱した自由、平等、友愛の感覚。
これらを把握しておくと、上記した大小様々な社会において子どもが成長するにふさわしい環境を作れているだろうかを考えやすいのではないかと思っています。
なぜなら私たちがその社会に何か居心地の悪さを感じたり、その在り方に疑問を感じるとき、そこには必ず「自由」と「平等」と「友愛」の問題が潜んでいるからです。
誰でも自分がチャレンジしようとしている時に理由もなく邪魔されたり、ケチをつけられたら嫌な気分になります。誰かが他の人には優しいのに、自分にはきつくあたっていると感じれば不公平に感じます。社会というと漠然としていますが、一人一人の人間関係のまとまりが社会と考えると、そうした一人一人の実感こそが社会を考えるうえで大切だと思うのです。
○自由の感覚
「みんな違って、みんないい」という感覚です。人間も生物も皆それぞれに個性を持っている。だから素晴らしいのだ。自分は自分の思い、個性を大切にして生きていきたい。それが自由への感覚です。自分の仕事や生き方にかかわる感覚です。
○平等の感覚
生きる権利、人間として尊重される権利において、みな平等にその権利を持つべきだ、という感覚です。生まれた境遇、その人の性格や個性によって不公平があってはならない、という感覚です。
○友愛の感覚
社会のなかで、さまざまな人がそれぞれの個性を発揮して一生懸命に生きている。そのことを素晴らしいと思う感覚です。「おたがいの違いを認め合い、その違いをよろこぶ」ということ。これは自由と平等の感覚が十分に発達したとき、初めてあらわれる感覚です。
例えば、私が普段最も深く関わり、その在り方をある程度コントロール可能な社会は「家庭」です。家庭でお互いの個性を認め合っているだろうか。違いを受け止めているだろうか、受け止めてもらっていると感じているだろうか。年齢や役割の違いに関わらず、皆平等に心地よく生活できる権利を与えあっているだろうか。それぞれが個性を認め合い発揮していることを喜び、生き生きとした生き物のような家庭を営んでいるだろうか。
「自由」「平等」「友愛」をキーワードに一つの社会を見直していくと、何が良くて何が問題か見えてきます。更に家族皆でこのことを見直していく機会を持つともっと良いのかな。
いつでも大切なのは、私が私自身の感覚を繊細に働かせること。
自分自身が自由、平等、友愛が成立した家庭の姿を感じ取れるのであれば、それはきっと子どもにとっても安心して自分を表していける環境でしょう。
同じことを自分が関わる社会(私であれば、仕事場、シュタイナー会、ヨガ教室、友人、ボランティアグループ)について見ていく。その作業の繰り返しが、より良い社会に、子どもが自分らしく成長していける社会につながっていくのではないかなと思います。