「マントヴァと美術品の散逸」
ここの見どころと言えば、ゴンザーガ家の「ドゥカーレ宮殿」と「テ宮殿」。後者の「巨人の間」、「プシュケの間」は期待通りだったが、「ドゥカーレ宮殿」はやたら広いだけで、評価の高い「結婚の間」も含め、イザベラ・デステの過ごした当時の栄華の面影はまるで感じられなかった。彼女についてある程度の知識を持ってやってきたつもりだったが、いくら想像力を働かせても自分の力では当時のヨーロパの支配者たちをうならせたイザベラの居城の魅力をおもい描くことはできなかった。そこにあった名画などの美術品の数々が散逸してしまっているからだろう。逆に言えば、毎年のように行っているルーブル美術館が何回通っても新たな発見があるのは、その作品自体のすばらしさ、多様さとともにヨーロッパ各地にあった作品が様々な過程を経て(収奪されて返還要求されている作品も含めて)そこに展示されている歴史も感じられるからだ。本来その作品が置かれていた場所へ時間をかけてでかけて行って、その絵がそこにあった往時を想像するよりも、名作を見てその絵や彫刻、工芸品がどういう経緯でそこに展示されるように至ったかを想像する方がよほどの専門家でない限り魅力は大きいと思う。
期待以上に面白かったのはマントヴァ最大の教会「サン・タンドレア教会」。804年に創建され、1049年に修道院を併設した古い教会だが、15世紀後半、マントヴァの領主ルドヴィーコ・ゴンザーガ3世とその息子フランチェスコ枢機卿が、権力の象徴とゴンザーガ家の威信を示すために、教会の改築を「万能の天才」と呼ばれたアルベルティに委嘱し、その後長い年月をかけて1732年に完成された教会。ここのクリプタ(地下祭室)には「十字架に架けられた時キリストの血で染まった土」が保管されている。この教会は十字架に架けられたキリストのわき腹を刺した兵士「聖ロンギヌス」が、その傷口から得たキリストの血を隠した場所に建てられた教会として中世から人々の信仰を集めていた。この聖遺物信仰。いまだにピンとこないし、キリストが固く禁じていた偶像崇拝そのものとしか思えないのだが。イタリアでもスペインでも、フランス革命を経験したフランスでも根強い(パリのノートルダム大聖堂はイエスの被らされていた茨の冠が保管され、定期的に公開されている)。この教会で興味深かったのはその内部の装飾。柱、壁面のすべてに装飾が施され、一見するとレリーフに見えるが、すべてデザイン画。近くに行かないとまるで気づかない。ただ、彫刻か絵画かに関係なく、いかにもルネサンス的なデザインにすごさ以上に味気なさを感じた。あまりに数学的、幾何学的、理知的過ぎてこころに響いてこないのだ。見る側の自由な想像力を働かせる余地が残されていないというのか(アルベルティ自身は、ルネサンス絵画の指導的見解であった『絵画論』の中で、「美」とは、「何物も加えたり、取り除いたり、直すことの出来ないようなあらゆる部分の整然とした調和体」であるとしている。)。日本の美とは対照的なものを感じた。面白い教会だった、というのはそういう意味である。
(ジュリオ・ロマーノ「巨人族との戦い」)テ宮殿「巨人の間」
ケラウノス(雷霆)で巨人族の神殿を破壊するゼウス。これが見たかった。
(テ宮殿)
(ジュリオ・ロマーノ「クピドとプシュケの結婚披露宴」テ宮殿)
(「キリストの血の聖遺物容器」サン・タンドレア教会)
(サン・タンドレア教会内部の装飾)真ん中の3枚の絵以外は、レリーフではなく装飾絵画
(ジュリオ・ロマーノ「巨人族との戦い」)テ宮殿「巨人の間」