ミシガン州立大学による琉球大学支援事業関係資料
2016.02.28 13:48
『沖縄県公文書館』ミシガン州立大学による琉球大学支援事業関係資料
米国ミシガン州イースト・ランシングにあるミシガン州立大学文書館(University Archives and Historical Collections, Michigan State University)から収集した琉球大学支援事業関係資料を公開しました。
(平成20年3月11日)
米国ミシガン州イースト・ランシングにあるミシガン州立大学文書館(University Archives and Historical Collections, Michigan State University)から収集した琉球大学支援事業関係資料を公開しました。
(平成20年3月11日)
米軍政府は1950年5月、沖縄初の大学として琉球大学を設置しました。
米陸軍省は新生大学を支援するため、アメリカ教育評議会を通じて支援プログラムへの参加校を公募し、翌1951年、ミシガン州立大学(MSU)と契約を結びました。
同契約の下、1968年までの間に多数のMSU教授陣が沖縄に派遣され、琉球列島米国民政府(USCAR)や地元の教育関係者と協力してカリキュラムの開発や施設拡充などに取り組みました。
同資料群は、沖縄の事務所で保管されていた文書とミシガンの国際部長室で保管されていた文書に大別できます。
同事業の関連資料は、米国国立公文書館所蔵の陸軍省文書や当館所蔵のUSCAR教育厚生局文書などにも見られますが、今回公開する資料群には、学長、国際学部長、顧問団員らの書簡、定期報告書、カリキュラム開発、教職員のトレーニングに関する文書など、同事業の詳細を知る上で貴重な資料が数多く含まれています。(全576簿冊)
「第2次琉大事件」とは、「島ぐるみ闘争」の渦中、琉球大学学生が米軍用地の一括払い(プライス勧告)に反対する住民集会のデモにおいて反米的言動を行なったことなどを理由に退学処分となった事件。
同書簡は、琉大財団理事であったミードが学生の処分に至る経過を綴ったもの。